「オペラ歌手」と呼ばれること


人は私のことを「オペラ歌手の髙橋さん」と呼ぶ。
初対面の人に紹介される時、「この人はオペラ歌手なんですよ」と言われる。
だけど正直に言う。私は自分を「オペラ歌手」と呼ばれることにしっくり来ていない。

その証拠に「オペラ歌手」と紹介された時、
私はいつも「いや、オペラ歌手というかなんというか…とりあえず歌をやってる者です」と濁している。


第一に、私はちゃんとしたオペラに出たことがない。
学生の頃はオペラサークルのようなものに入り、
年2回の公演を4年間行ってきたけれど、
所詮それはガラコンサートみたいなものだ。
(※ガラコンサート…オペラの中からいくつかの場面をピックアップして行われるコンサート。オペラのハイライトのようなもの。)


オペラアリアもかなり勉強してきたけれど、
試験やコンサートなどでは舞台上で1人で歌う。
伴奏はもちろんピアノだ。
オーケストラの伴奏で、いろんな小道具や舞台装置があるステージでその場面の一部として歌うのとは訳が違う。
(※オペラアリア…オペラで登場人物の気持ちが高まった時に歌われるもの。歌手にとっては1番の聴かせどころ。)

きちんと全編通しでオーケストラの伴奏という
正式なオペラの舞台に主要キャストとして立ったことは一度もない。(コーラスでは何度かある)


「オペラ歌手」というと私の中では、
大きなホールでやる正式なオペラの公演に何度も出演したことがある人というイメージなので、
正式なオペラの公演に出たことのない私が「オペラ歌手」と呼ばれるのには少し違和感がある。


そしてこれが1番大きな理由なのだけれど…
私はオペラやクラシックしか歌えない自分が好きではない。
もっと言うと他人が書いた曲ばかりを歌っている自分が好きではない。


学生時代はオペラを歌うことに満足していた。
歌曲ばかり歌っていた高校時代の私はオペラを歌うことに憧れていたし、大学見学に行った時は難しい曲を難なく歌う大学生のお姉さんがすごくカッコよく見えた。


大学に入ってオペラアリアを歌うようになり、
オペラサークルにも入ると私はますますオペラにのめり込んだ。
難しい曲を歌いたくて毎日毎日発声練習をして、
high C(真ん中から2オクターブ上のド), high D(2オクターブ上のレ), high Es(2オクターブ上のミ♭)とどんどん高音を開発して自分のものにしていくのが楽しかった。
私の高音を見込んで教授から「あんたにしかできないんだよ」と『魔笛』の夜の女王役をもらった時は人生で1番嬉しかった。

さすがに夜の女王の最高音high Fはなかなか出なくて苦労したけど、それすらも楽しかった。

可愛い後輩が「新入生歓迎オペラで先輩を見てファンになりました!私がオペラサークルに入ったのは先輩がいたからです!」とメッセージを書いてくれた色紙は今でも大事に取ってある。


学生時代、オペラは私の全てだった。


そんな価値観がぶっ壊れたきっかけは、
福岡で適応障害になりかけ心身ボロボロになった後
(あの状態でも適応障害に「なりかけ」というのが恐ろしい)大分に帰ってきて心機一転参加した
「ベップ・アート・マンス」だった。


私は「日本の秋」をテーマにして、
滝廉太郎や山田耕筰など素晴らしい先人の曲をピックアップして演奏会を開くことにしたのだけれど、
できあがったパンフレットを見て私は愕然とした。みんな自分のスタイルを持っていて、
自分で何かを生み出していて、
それぞれが独自の光るものを持っていた。
他人が作ったものを披露して堂々と「アーティスト」を名乗っているのは私1人だけだった。


私が学生時代から積み上げてきた誇りと自信は大きく揺らいだ。
私は曲があるから「歌手」を名乗れるのだ。
極端な例えだけど、日本がドイツやイタリアと戦争することになって「今後ベートーヴェンやモーツァルト、ロッシーニなど敵国の音楽を演奏するのは一切禁止する!」なんて言われたら、私は歌手ではいられないのだ。
私は何だか急に、モーツァルトやロッシーニに生かされているだけの自分に嫌気が差した。


もちろん、先人達の残した曲は素晴らしい。
私は彼らの曲に何度も熱狂して何度も涙を流した。
実際今でもクラシック音楽を聴けば癒されるし、心が高揚する。
人の心を動かす程の曲だからこそ、彼らが亡くなって数百年たっても色褪せずに残っているのだと思う。


でもやっぱり、他人の曲は他人の曲。
「楽譜から作者の意図や思いを汲み取って表現するのが歌手だ」という人もいるけれど、
どんなに意図を汲み取ろうと、心を込めて歌おうとそれは所詮他人が発した言葉でしかない。

学生時代は「オペラ歌手」と呼ばれたかった。
でも今は「オペラ歌手」と呼ばれるのはしっくりこない。
私の中のオペラ歌手のイメージが大きく変わってしまったから。


だけどみんなが私のことを「オペラ歌手」と呼ぶのは100%私の責任。
だって私が自分で「オペラ歌手だ」と名乗ったから。
そう名乗られた人は私のことを「オペラ歌手」と呼ぶのは当たり前。「オペラ歌手です」と名乗る相手に「あなたはピアニストですね」なんて言う人はいないだろう。

「声楽の発声で歌うけどオペラには出たことない歌手」を一言で表すのはなかなか難しい。
「歌手です」と言えば、いわゆるJポップのような歌を歌っていると勘違いされて実際に声を聴かせると多分驚かれるし、かといって「クラシックの歌手です」と言ってもクラシックしか歌わないわけではないのでこれも違う。
「声楽家です」「ソプラノ歌手です」と言って声楽って何?ソプラノって何?と言われたこともある。
(それにソプラノ歌手もオペラ歌手もほぼ同じような意味だと思う)


結局「オペラ歌手です」が1番通じたので
オペラ歌手を名乗るようにしているけれど、
私がイメージしている「自分」と「オペラ歌手」は完全に一致しているわけではないので何だか気持ち悪い。
そしてこの気持ち悪さは日に日に増していってる。


「オペラ歌手です」と名乗るくせに
「オペラ歌手」と呼ばれたくないなんて、とんだワガママだと思う。


結局、私は自分が何者なのか自分でもわかっていない。
心からしっくりくる呼び名が見つかるのはいつなのか、その呼び名はどんなものなのか全く検討もつかない。
でもある時、突然ふっと頭の中に降ってくるかもしれない。
high Cが出るようになったのもある日突然だったから。
だからその時までは「オペラ歌手」という呼び名を使わせて頂こう。


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