小さな優しさ

最近、何だかすごく疲れる。
みんなが忙しくてピリピリしている。


私自身はこれと言って忙しくない。
それなのに何というか、
水の中で息を止めているような苦しさが
毎日まとわりついている。


今日は火曜日。
今日を入れてあと4日も働かないと休日はやってこない。
午前中の勤務が終わって、昼休み。
しばしの息継ぎタイム。


昼休みに一旦帰宅して
ポストカードやら手紙やらが届いていないかチェックするのが潜水大会中のひそかな楽しみなのだ。


今日届いていたのはオランダから2通。


そのうちの1通を読んでみると、こう書いてあった。


「私は離婚をしています。
今はシングルで1人息子と一緒に暮らしています。」


余談だけれど、このメッセージを読んでいる時に
無意識に女性の声が頭の中に流れていたのは
一種のステレオタイプなのかもしれない。
もしかしたら男性が子供を引き取って育てているかもしれないのに。
(でもこの方は女性だった。)


「私はリンパ浮腫が手にできていて、
そのせいで文字が書けないのでパソコンで文字を打ちました。手書きじゃなくてごめんなさい。」


申し訳なさそうに書き添えられたメッセージに
私は少しだけ切ない気持ちになった。


リンパ浮腫がどんなものなのか私は知らないけど、
手が動かせないならパソコンで文字を打つのも辛かっただろう。


それにカードはマスキングテープやシールで
可愛くデコレーションされている。


彼女は間違いなく私のためにベストを尽くしてくれた。
それなのに「ごめんなさい」なんて…


この世の中はそれほど美しくない。

私は昔から人の顔色を伺いすぎる癖があるので、
たとえ相手が上手く隠したつもりになっていても
相手の言葉の端々や目線から
悪意を感じ取ってしまうことが多々ある。


それに私は負の感情に引っ張られやすい。
ちょっとした悪口が耳に入ってきただけで、
自分のことでなくても動揺してどっと疲れてしまう。


そんな悪意にまみれた世界で生きていると、
時折私に向けられる人の暖かさにどうしようもなく心を打たれてしまう。



私は彼女への返信にこう書いた。


「素敵なカードをありがとう!
手書きのカードでないことをどうか謝らないで下さい。
私はあなたが私のためにカードを可愛くデコレーションしてくれたのだと思っています。
あなたのカードは間違いなく私の1日を良いものにしました。」


明日も世界のどこかで彼女の小さな優しさが
誰かのことを癒しているかもしれない。

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