薔薇の庭 4
ギャラリーの中で友人は店の人に何やら質問していたが、私は広々とした白い空間を楽しんでいたので、特に会話を気に留める事もなく周囲を眺めていた。広い店内に、店の人が三人ほどと客は私と友人の二人だけ。
人口密度が低い、っていうのは静かに嬉しいことだった。
外へ出れば人でいっぱい、混雑して気を使い合いながら体を動かさなければならない。
どこにいても店に入るにも順番待ちみたいなところで、この広々した感覚が不思議だったし、気持ちよかった。
店の人も特に何か話しかけてもこず、静かに電話の横で書類をめくって作業したり、友人と説明している店長の様子を見たりなどして私のことはほっておいてくれたのも有り難かった。
「さきちゃん、お待たせ」
友人が声を掛けてくれた。
「この先にやる個展の案内とかもらったんだ。興味ある?」
尋ねられて思わず「どんなの?」と聞き返したのは、美術展に興味あるというよりこのギャラリーの空間にまた訪れたい、という感覚からだった。
「私、この器が気に入ったからね、その人が地方から来店するらしいから他にどんな作品あるのか興味あって」
彼女は漆の飯椀を指して言った。
私がイメージする、高級な贈答用の漆器と違って、塗りも厚くぽってりとして、柔らかい印象の中に武骨な力強さも感じる。
「いいねぇ、ご飯がおいしくよそえそうね」
「そうでしょう、おいしくみえるよねきっと」
笑い合って、店員に会釈して店を出る。
「一緒に行く?」
「うんうん、またここ来たいもん」
「さきちゃんいつでも来れるでしょう」
「あなたと一緒に来た方が楽しいもん」
友人は満面の笑みを浮かべてから、小首をかしげてみせた。
「いい友達を持ってシアワセだー」
「シアワセなのかー」
「そうだー、シアワセなのだー」
「いいことだー!」
友人は踊るように階段を下りると、ちょっとちょっと、と私を手招きした。
「そんなさきちゃんをとっておきに案内するぞ」
「とっておきって何?まだ見てないお店?」
「まあまあ、こっちに来て」
友人は、不可思議な角度で伸びる階段の方向へ向かって歩いていく。
中庭は、不思議な三角形の広場になり、パラソルとテーブルが並べられていた。特にカフェの案内は無いから、休憩を取れるようにしてあるのだろう。
階上から見下ろした時にも見えた、ガラスのサンルーム。
そこが友人が案内してくれた場所だった。
ウッドデッキ上から上がり、腰板とおそろいの緑色に塗られた木製ドアには、はめ殺しの大きな一枚ガラス。鈍い金色の真鍮のドアノブ。
花屋のストックルームかと思っていたのだが、友人がドアの鍵を持っていたので驚いた。
中では赤いバラの花が満開だった。
一瞬香って来る強い芳香。だが、しばらくたたずんでいると慣れた。
他にもまだつぼみの白い花、株は少ないがやはり満開の黄色の花。
さほど広くはないが、小さな店一軒分はあるスペースの中にたくさんの種類がとりどりに咲いている。
「祖母の趣味の温室だったのよ。もっと広くてたくさんの花があったんだけど、これだけにしてここに預かってもらってるの」
いきなり言われて、「え、え、お祖母さんて??」と聞き返してしまった。
「このビルのオーナーが親戚になるの。祖母の趣味は父とも母とも合わなくて。無くすのは私が嫌だったから受け継いで、ここの場所を貸してもらってるのよ。花も昔の品種だから今は流行らないかもだけど」
ユーカリやゴールドクレストの鉢植えに囲まれて、サンルームは半分商業施設から隠されているようになっていた。並んだポールに鎖が通して、一般から入れないようにもされていた。
友人が資産家の生まれなのは知ってはいたが、こんな人気の観光地の家主と縁続きだとはまた驚いた。しかも祖母の遺産を管理しているとは。
温室内で咲き誇るバラたちは、それはきちんと手入れされている様子で、普段忙しく商社の仕事をこなしている友人のどこにそんな時間が?とも思った。バラを育てるのは手がかかる、と聞いたことだけはあるから。
「母が受け継ぐべきだと思ったんだけど、色々ややこしくてね。手入れは祖母の時代からの付き合いのある人たちに頼んでるから安心なんだけど」
私に話すというより、独り言みたいにつぶやいて、友人はバラを指さした。
「今日せっかくだから良ければ何本かプレゼントするよ。もう満開だから後は盛りをすぎるだけだしね」
「え?いいの?私人生でバラをプレゼントされるのなんか生まれて初めてだよ!」
「あははは、この次はいつになるかね?」
「じゃ遠慮なく。私が選んでいいの?」
「勿論、赤でも白でもピンクでも黄色でも」
満開だった紅い花は、クリスチャンディオールというのだそうだ。
有名なデザイナーの名前。とがった花弁がりりしくて綺麗。
黄色の花に花弁の先がほのかにピンクに色づいているのがピース。
平和という名前にふさわしい優しい色味。
あれやこれやと選んで、友人に切ってもらい、備え付けになっていたセロハンとカラーペーパーで立派な花束に仕立ててもらった。
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