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ほのかな明かりの灯る窓から 4.

 小さな物語の、最終話です。

 クローバーの生い茂る、小さな公園のベンチに腰掛けて、晃は肩のリュックを下した。ファスナーを開けて、小さなスケッチブックを取り出す。
 駐車場と工場、倉庫がこの街の繁華街とこの一角を隔てている。
 今晃が居る公園も、昔は小さな店舗だった。
 かなものや、といってあらゆる雑貨を扱う店。二度、立ち寄った事があった。店内にぎっしりと鍋やかご、ざる、食器にプラスチック類、紙類、箱などが積み重なっていて、今にも崩れ落ちそうで商品を探すのが怖かった。
 今でいう、100均ショップやホームセンターみたいな物が置いてあった。
 経営していた老夫婦が店をたたんでから、ここの商店会が店を解体して今のような公園にしたのだった。
 昔とは建築基準法が変わり、店を立て直そうにもそれだけの面積が足りない。建物が古すぎて買手もつかないというので、商店会が買い取ったのだという。

 あの、一月の夕暮れ時。
 初めて米谷さんに連れて来られたここは、もっと建物がひしめいていて、華やかな印象だった。古いけれども、お客さんが絶えない商店街のような活気があった。
 地下街出口から喫茶エデンに向かうまでに、花屋やフルーツショップが並んでいたのを覚えている。
 マスターについて歩きながら、物珍しさにきょろきょろとあたりを見回していたっけ。
 怖いし不安だったけれども、どこかワクワクする気持ちもあった。
 こんなところ、知らなかったなぁ、なんだか東京みたいな大都会の下町みたいな感じ、あっ、帽子だけ売ってるお店だって!見たことの無いモノがたくさん並べられてる!

 スケッチブックには、この通りのお店が並んでいる。
 あれから時々訪れては、子どもながらに真剣に写生したものだった。
 おかげで晃はどこにどんな店があったのか、思い出すことができる。
 十数年の間に、街も変化していった。人間とおんなじだ。
 おばあさんが手売りしていたタバコ屋は、ずらりと並んだ自動販売機スポットになっているし、古びた酒屋はコンビニみたいな店に建て替わった。
 そして、じわじわと今いる公園のような空き地が増えている。
 昼だけでなく夜も営業しなくなってシャッターが下りたままの店も。

 あの時ママが運んできてくれたホットココアは甘くて温かくて本当においしかった。
 大きめの白いカップにたっぷりとホイップクリームが載せられて。
 小皿にマリービスケットを添えてもらった。
 母に電話を切られたショックで、泣きだしてしまった私を、店にいる人たち皆がなぐさめてくれたっけ。
 米谷さんはずっとうなずいてくれて、タオルハンカチを貸してくれた。
 あの時優しく頭をなでてくれた手は、小さなおじいさんとは思えないような、肉厚でたくましいものだった。
 
 知らない大人の人たちに囲まれて泣いている自分がとても恥ずかしくて、余計に涙が止まらなかった。
 しっかりしなきゃ、これからどうするか考えなきゃ、しっかりしなきゃ。
 そればかりぐるぐる考えていた晃に、米谷さんは優しく言ってくれた。

 「まだ子供の君が心配ばかりするんじゃないよ。子供は一生懸命遊んで勉強して食べて寝て、大きくなればいいんだよ。そのために大人が居るんだからね。君たちの心配事や悩み事は、我々に任せればいいんだ。それが大人の領分だよ」
 
 そんな風に言ってもらったことがなかったので、晃は少し落ち着いた。
 学校でも「もう高学年なんだから、君たちが自分で考えて行動して低学年の子の見本になるんだよ」と先生たちに言われていた。
 クラスの集団行動を乱す子たちは、手厳しく叱られていた。
 「自覚をもちなさい」「もうどうすればいいかわかるでしょう」
 自覚もある、わかってる。でも、いつもいつもそんなに上手にできないのに。
 ことに、晃は割合と素直に教師のいうことを聞く子だったので、よくほめられていた。教師にほめられるとお母さんは喜んでくれた。
 でも、でも、でも。
 わたしにだってできない時もやりたくない時もある。

 どうしよう、涙がとまらない。しゃくりあげる晃と寄り添ってくれる米谷さんの脇で、マスターとママ、隅に座っていた新聞の人、いつの間に店に入ってきたのか、背の高い男の人まで皆集まって何か話していた。
 その男の人がこちらに向かって話しかける。
 「米谷さん、その子は家まで送って行ってあげよう」
 米谷さんは、その人を無視して晃をなぐさめている。
 「大丈夫だ、落ち着いて深呼吸したら涙は止まるから。ほら、ゆっくり息を吐いてから、大きく息を吸い込んでごらん」
 泣きすぎて呼吸が早くなっている晃の手を握って、ほら、このペースだよ、とゆっくり腕を動かしてくれた。
 そうすると不思議なもので腕に合わせて息ができるようになった。
 「そうそう、ゆっくりと。その調子だね」
 ゆっくり呼吸すると、喉元にたまっていた苦しい熱いカタマリが少し解けたような感じがして、涙が自然と落ち着いた。
 「米谷さん、もう日が暮れた。銀行が開く前に出ないと」
 米谷さんは、背の高い人に向いて言う。
 「いいんだよ、この子は川を見に行くんだよ。私が付いていく」
 「その子はもう満月を」
 米谷さんは振り返る。
 「こんなやせてる子が?」
 「時代は変わっているんだ、体が背を伸ばす方に力を入れてるだけだよ。栄養不足なわけじゃあない」
 米谷さんは、じっと晃を見つめた。
 まただ。
 違和感のある、怖い顔。
 「ほら、あなたを怖がっている。川を渡る子じゃあないよ」
 何を言っているんだろう?
 「昼間には誰もが通れる道だ。単に猫と同じだよ。迷って出くわした訳じゃあないと思う。今なら送り返してやれる。君、こっちへおいで」
 米谷さんは、晃を見つめたまま動かない。
 背の高い人は、新聞の人に言った。
 「佐久間さん、お願いするよ」
 「わかりました。すぐに出れば私の予約も間に合うでしょうからね」
 新聞の人はうなずくと、「車を取ってくる」と言って店を出て行った。

 どうしていいかわからなくて、晃が戸惑っていると、背の高い人が言った。
 「さあ君、佐久間さんが家まで送っていってくれる、住所は言えるね?あの人は個人タクシーの人だから、間違いなく送って行ってくれる。お金の事は心配しなくていいから」
 「すみません」と頭を下げる。
 「お母さんもわかっている。君と同じようにわかってるんだよ」
 そう言われて、思わず背の高い人の顔を見上げた。
 「お互いにわかりあっているのに、どうしてすれ違うんだろうねぇ。そういう事は仕方ないんだよ。君も早く大人にならなきゃならなくて、つらいだろうけどね」
 また涙が出そうになる。
 「でも、大人が子供をはけ口にしちゃいけない。やめられなくてもやめなければならない。子供は明るい光なんだ。光をくもらせちゃいけない」
 「そうですよね、米谷さん」

 米谷さんは、最初にあった時よりよっぽど小さく見えた。
 こんなおじいさんだったかしら?と思う位に年とって見えた。
 どういうことなのだろう、優しそうだったり、怖くなったり、力強かったり、そして今は・・・。
 「たましいは明かりだ。子供のたましいは明るい。でも、明かりの弱い子もいる。弱い明かりは殆どが清らかで美しい。そして聡い子だ」
 独り言のように呟いている。

 ママが明るく声を張り上げた。
 「佐久間さんは運転がお上手ですよ。安心してね、この街ならどんな道でもご存じだから」
 そして小さな包みを晃に渡した。
 「さ、お土産にどうぞ。ご家族となかよくね」
 「ありがとうございます。あの、ココアごちそうさまでした。おいしかったです」
 「どういたしまして、嬉しいわ。うちの店は夕方前からやってるの。もう少し大きくなったらいらして下さいね」
 ママは花のような笑顔を見せてくれた。
 「あら、佐久間さんもう来たみたい」
 狭い通りに黒塗りのタクシーがすべりこんで来た。
 「じゃあ、佐久間さんお願いします」
 「はい確かに」
 ママと佐久間さんが短いやりとりをして、晃は後部シートに座った。
 ママと、背の高い男の人が店を出て見送ってくれた。
 手を振りながら、晃は店の中に米谷さんの姿を探した。
 小さなうつむいた背中に気づいたが、その背中は一瞬で風景に流れて消え去った。

 自宅までたどり着いた時、タクシーの音でお母さんが家から飛び出して来た。
 そして、タクシーから降りてきた晃を見ると運転席に駆け寄って来て、「あらすみません、おいくらですか?今財布をとりに行ってきますから」
 と声をかけ、佐久間さんに「もうお代はもらっていますし、急ぎますので」と断られ、「でもでも」と言っている間にタクシーは走り去って行った。
 あの時のお母さんの顔、ちょっと面白かった。
 玄関の門燈に照らされて見えた、張りつめて緊張した顔と、慌ててる顔と取り繕っておすましした顔と、私を見て半泣きになった後一瞬で鬼みたいに怒った顔。
 まるで百面相だった。
 そしてぶっきらぼうに、「こんな暗くなるまで一体どこに行ってたの!」とだけ言って、家の中に入っていった。玄関の外まで煮魚の甘辛いいいにおいが漂っていた。晃の大好物だった。
 
 当時を思い出すと、ふぅ、とため息が出た。
 母は結局電話を切った事を謝らなかったけれど、覚悟していたよりも叱られなかった。自分でも後悔していたのだろう。
 足元のクローバーにミツバチが飛んできて、晃はあわてて立ち上がる。
 川の向こうの空に日が傾いている。 
 もうじきに喫茶エデンが開店するだろう。
 ママもマスターも年を重ねたけれど、まだお元気で店を続けている。
 そして私はココアじゃなくてカフェオレを注文するようになった。
 実家を出て、この街を離れた今でも休みの日にはたまにお邪魔する。
 あの時の、大人たちの言葉を今でも思い出せる。
 なのに、不思議なことにあれから川沿いの公園には一度も行っていない。


 「月を孵せる年になったら、明かりは自分で守るものだな」
 カウンターに腰かけて独り言をつぶやく米谷さんに、マスターが二杯目のコーヒーを差し出す。
 「あの子のほのかな明かりが、なんともかわいそうだったんだが」
 「大丈夫ですよ、あの子はちゃんと自分で窓を開け閉めできる子です」
 「そうか。僕もいよいよ目が曇ってきたのかなぁ」
 「米谷さんは、優しすぎるだけですよ」
 「肝心の見極めがつかなくなっちゃ、案内係もおしまいだな」
 「私どももいつか案内される側になります」
 「確かにそうだ」
 米谷さんは、コーヒーを飲んで言った。
 「あの子みたいな綺麗な明かりを灯した子に、案内されたいものだなぁ」

 



 


 

 

 

  




 
 



 






 

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