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人生をほんの少し変えた買い物

日本画を買った。生まれて初めてだ。

インテリアに関心がなかった、というか正確には関心を持つ余裕がなかった。今の住まいは新築で購入した。当時家の購入で精一杯でインテリアにまで回る資金がなかった。とはいえ最低限の家具は必要だったので、仕方なく予算内で無難な特徴がないものを選んだ。お仕着せの壁紙、決められた床材、キッチンのパネルも洗面台も建てた業者が用意してくれた色や形で、好みの指示を差し込む余裕はなかった。自由に選べるはずのシーリングライトやカーテンもまず予算ありきで、無難な家具に見合う無難な色柄、そこにあるのに存在を主張しない機能だけを満たしたものばかりだった。おかげで入居初日から不都合なく生活することはできたが、好きなものに囲まれる高揚感や愛着はなかった。

少し前にベルギーの一般家庭の日常のシーンを写したスナップ写真を見せてもらった。幼い初孫を迎えて嬉しそうな祖父母にあたる人たちの笑顔とともに、背景に写っていた室内のインテリアに目を奪われた。好みのしつらえに整えられた年代物の家具、調度。照明も壁の色も食卓に並ぶ食器やカトラリーも 一目で大切に愛情込めて手入れされていると感じられた。引き比べて我が家のそっけなさや、雑然とした統一感のなさは、本当にがっかりだった。それから少しづつ(相変わらず予算の制限があるので)気に入りのものを探す努力を始めた。

まず買い換えたのは、食卓だった。普段家族だけで食事をするのに何の不便もない食卓だが、年に何回か大人数で食事をするときにはいつもあちこちから中途半端なテーブルや机をかき集めて準備に手間取った。簡単に伸縮できる木のテーブルをずっと探し続けていたら、ある日突然出会うことができた。旅行先の那須の中古家具屋さんで思い通りの品に出会った。しかも予算内だ!店に入って10分で即決。何気なく入った店で探し続けた物に出会い すぐに買うことを決めるなんて 普段の買い物からするとちょっと桁が違うのに。靴や洋服とは違い一軒にひとつあれば十分なものなのに本来なら不要な二個目を買おうとしている、、しかも即決で買うなんて!今までの私の人生の中ではなかったことだ。これには自分でも驚いたし、とても新鮮な体験だった。

次はシーリングライトの交換だった。LEDに変えるタイミングで新しい照明がいるね、と言う話はしていた。どうせ買うなら一目惚れで買った伸縮できる木のテーブルが引き立つペンダントライトが欲しくなった。それも良いものが見つかり、しばらくテーブルの上に下がるライトの元でうっとりしていた。食卓テーブルとその上のライトが変わっただけで、少し部屋の雰囲気が変わってきた。そこだけ「わたしのお気に入りの空間」になったのだ。

食卓の後ろに腰の高さの食器棚がありその上は壁面になっている。ピクチャーレールがついていて好きなものが下げられるようになっている。人からの貰い物やお土産で買った思い出の品などを下げていたが、自分の好みではなかった。よそのお宅にお邪魔すると趣味のいいものが季節ごとに架け替えてある、という例もあったが、私の予算内ではシルクスクリーンやリトグラフなど、世の中に何枚も存在するうちの一枚を買うのがやっとだった。そうじゃなくて、誰かが心をこめて描いた一枚をこのお気に入りの空間のすぐそばに飾ってみたくなった。

そして 出会いはまた偶然だった。ちょうど一年前のことだ。コロナであまり出かけられない日が続き、絵を見るのが好きなのに美術館にもふらっとは出かけられなくなっていた。買い物に出かけたデパートでアートフェアを催しており、久しぶりに絵が見たくなって立ち寄った。たくさんの絵画の中で、どうしても気になるものがあった。水面に水滴が落ちた時に広がる波紋が描かれたものだった。プラチナ箔に岩絵具で描かれたその作品は清涼感に満ちていてコロナで外出もままならない中、ふっと風が抜けるような気分になった。会場を一巡して、もう一度見に行く。別の日にまた見に行く。何回か見ているうちにこの絵の好きなところもそうでもないところもあったが、清涼感だけは変わらなかった。コロナで閉じ込められた感じがありこれからくる梅雨でさらに気分が塞ぐだろうと思った時、この絵がうちにあったら、きっと爽やかな気分でいられるだろうと思えた。そして初めて絵画を買った。

購入を決めたのは、アートフェアが終わってしまってからだったので、絵は一旦引き取られすぐには手に入らなかった。その間に少し手直しをされ、やっと私の手元にきた。筆を入れられたことにより、一層魅力を増したその作品は、それからずっと爽やかな風を我が家に送り続けてくれている。


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この画風が好きで、作者の展覧会はなるべく見に行くようにしている。そうすると今まで自分が行ったことのないような場所にも ギャラリーを探しながら行くことができる。天王洲の寺田倉庫のギャラリーもそうだった。倉庫を改良したその一郭はなんだかシドニーのダーリングハーバーを思い出させた。目の前に今まで知らなかった違う景色があり、飛行機に乗らずに海外旅行をしたようだった。コロナで自由に旅行ができない時に ほっと息継ぎができたような気がした。この絵が結んでくれた縁で、作者の作品を辿る目的の外出が増え 生活が少し変わった。この絵は決して大きくないが、この絵のお陰で変わったものはたくさんある、と実感している。



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