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「私が大事にしている3つのルール」

こんにちは。
桜井カナです。

「私が大事にしている3つのルール」は、

1.みんな色々な環境で過ごしている(きた)ので思い込み、自分の物差しだけで話さない。
2.真面目に取り組む事を恥ずかしく思わない。
3.人に見せる字は丁寧に書く。

の3本でお送りします。

1.みんな色々な環境で過ごしている(きた)ので思い込み、自分の物差しだけで話さない。

大事にしているルールですが、私は未だに失敗、反省することがありますので完璧ではありません。
このルールを刻んだきっかけは、中学2年生の職場体験学習での出来事でした。
私は保育園に体験に行きました。夕方、続々と保護者が園児を迎えに来る中、私がたまたま一緒にいた園児は保護者が来る気配がありませんでした。私はその園児と遊びながら、うっかり“私の物差し”で言葉をかけてしまいました。
「お母さん、もうすぐ来るかな?」
なにがいけなかったのか、みなさんはお気づきかと思います。
「〇〇ちゃん(園児の一人称)ママがいないからパパが迎えにくるの」
園児は怒る、泣く、不機嫌になる様子なく言いました。
私は「そうなんだね」と返しましたが、内心は嫌な思いをさせてしまったかもしれない、言葉の選び方を失敗してしまったととても動揺していました。色々な環境があることは当たり前なのに、そのことに気づかずに自分の物差しで言葉を発してしまったこともとても恥ずかしいと感じました(この出来事は本当に今でも恥ずかしい……)
私は父、母、弟と私の4人家族でした。母は専業主婦で私の幼稚園の迎えはいつも母でした。
高校生になると、両親がいて家族仲が良好の友だちもいましたし、家族仲があまり良くない友だちもいました。話したい人は相手から自然と家族の話題が出てくるだろうから“こちらから迂闊にしない方がいい”とより一層考えました。

社会人になり、私は公共図書館で働きました。図書館には子どもだけで来ることもあれば、子どもは児童コーナーへ、保護者は他のフロアにいることも多かったです。子どものみでカウンターに来たとき、登録の更新や滞納などでどうしても保護者に伝えなければならないことがありました。ほとんどの同僚は「今日、お母さんと来た?」「お母さんどこにいる?」と聞いていることが多かったです。一般的な聞き方と言われればそうかもしれません。ただ、私は過去のこともあり回りくどいかもしれませんが、まず「今日は誰と来ましたか?」と聞くようにしていました。(これは私のルールなので、後輩ができたり教える立場になったりしても周りに強要はしていません)

さて、働き始めてちょうど一年のその日、私の母が亡くなりました。今から12年前です。その後は私も“母親がいること前提で話しをされる立場”になりました。そりゃそうです。おそらく多くの人は22歳で親が亡くなっていると考えることが少ないと思います。私もそうでしたから! 私の場合は、職場の同僚、友だち、プライベートで知り合った人との会話、雑談で母親がいること前提(一度、死因まで聞かれたのは嫌でしたが……)で聞かれるのは特に問題ありません。しかし、私はどうしてもお店の店員さんや病院の医師や看護師等に母親がいること前提で話をされるのが嫌です。「私は自分が接客で働いているときはすごく気をつかっていたのに」というのではなく、自分のことを棚に上げて言いますと「接客業、病院で働いているんだったら、客や患者に色々な環境の人がいること前提に話すことくらい考えたら?」という感じです。客や患者という立場でも、お店や病院側に意見を押し付けることはありませんが、たまーにTwitterで愚痴を呟きます(笑)
家族のことだけではく、みんなが学歴、仕事、恋愛、結婚など、色々な思いを抱えて生きていると思います。(学歴、仕事、恋愛、結婚は私のことだわ……)
私は自分が嫌な気持ちになることはこれからもあると思いますが、極力、相手を嫌な気持ちにさせないように努力していきます。

2.真面目に取り組む事を恥ずかしく思わない。

「さくらいちゃんは真面目に頑張ってるからきっと良いことあるよ。真面目な人が馬鹿を見る世の中は本当はいけないんだよ」
前職の上司から「真面目だね~」(語尾に(笑)がつく言い方)と言われたときに、年上の同僚から言われた言葉。(上司がいる前で言ったので、私からするとまねできないくらいすごいことです) 私はこの言葉で“真面目に取り組むことを恥ずかしく思わない”ように心がけようと思いました。
私は同僚や先輩、上司から“仕事に対して真面目”と言われることが多かったです。やるべきことはちゃんとやる、わからないことはしっかり聞く、こういう資料があったら良いかもしれないから作成する。私自身が“真面目にやろう!”と意気込んでいたわけではありませんが、仕事に対しての評価として真面目という言葉は良い意味だととらえていました。
しかしながら、真面目という言葉を嫌味や皮肉、馬鹿にするように使ってくる人もいます。
「さくらいさん真面目だね~」「そんなにやってるのさくらいさんくらいだよ」「さくらいさん、やりすぎなんですよ。他の人と給料同じなんですよ?」と、あざ笑うかのように言われたこともありました。相手がどういう意味で言ったかはわかりません。少なくとも私は馬鹿にされていると感じました。
仕事を辞めたい(実際に辞めました)、仕事に行きたくない(よく思う)、私は必要とされているのか(本当によく思う)など、ネガティブなことを思うことはあります。いつもやる気全開というわけではありません。
それでも仕事に対して真面目に取り組むことを完全に放棄しなかったのは、同僚の言葉があったからです。

3.人に見せる字は丁寧に書く。

字を丁寧に書くというのは、人によって基準が違うと思います。私は“相手がストレスなく読めて、何の字が書いてあるか認識できる”ことだと考えています。
私は大人になってから字の癖を直しバランスの良い書き方が知りたくて、色々な方のペン字練習帳や本を買って練習しています。どの方も整った字を書いていますが、少しずつ書き方やバランスのとり方が違います。なので、字が上手、というのは、丁寧に書く、とは別物なのだと感じました。
“何の字が書いてあるか認識できる”ことは、私の中でかなり高く重要視しています。読んだ人が「これは何という字ですか?」と聞かなければならない状況を作らないということです。この一言を聞く状況、立場は本当にストレスがかかり、もし相手が機嫌をそこねたらどうしようと不安になります。特に接客業でお客様に聞かなければいけないときは、言葉に気を付けていてもいつもハラハラしました。上司に聞くのも嫌ですね。
なので、私は相手が認識できる字を見せます。自分のメモ書きで自分でも解読が難しそうなときは書き直すか、口頭で伝えるようにします。
字を丁寧に書くというのは、思いを伝える表現のひとつだと思います。大切な人へ「大切だよ」という思いを込めて、仕事では相手への敬意を込めて、ファンレターにありったけの好きを込めて。走り書きの、書き殴ったような字でラブレターをもらいたくありません。(ラブレターをもらったことはありません!)
現代は字を書くことが減っているかもしれませんし、必ずしも字を書かなければいけないわけでもありません。私は相手に見せる字を書くことが多いので、 丁寧に、欲を言えば上手にきれいに書けるようにこころがけようと思います。


自分のことを書くのは恥ずかしさもあり、知ってもらいたい気持ちもあり、伝わるように書けているか不安もあり、やっぱり練習が大切だなと改めて思いました。

読んでくださって、ありがとうございます。

※こちらの記事は、私がかんころ編集部というオンラインサロンに入っていたときのWORKで書いたものです。現在は、かんころさんの新たなオンラインサロン「かんころ未来創造Lab」(かんころラボ)に入会しています。

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