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16年間、アイブロウと連れ添った話

先日、アイブロウを新調した。前のアイブロウを買ったのは、なんと16年も前になる。

自慢じゃないけど、私は物持ちがよくない。こんなに長期間一つのものを使い続けたのは、むしろめずらしい。ヒビの入ったケースを眺めていると、16年間のあれこれが思い出されてきたので、手放す前にここに書き残しておこうと思う。

アイブロウと私

16年間連れ添った、なんて書くとこのアイブロウ一筋みたいだが、さすがに一つだけをチビチビと使い続けたわけではない。

人並みに流行を追うのは好きで、メイク用品もコロコロと新しい物に手を出した。アイブロウも例外ではなく、眉ペンシルや眉マスカラに浮気した時期もあった。それでも、何度もの化粧ポーチの断捨離を潜り抜け、このアイブロウは手元に残り続けた。余裕のない時やいざという時は、使い慣れたこのアイブロウが頼りだったのだ。

スペインで挙げた結婚式の朝も、重めの仕事を控えて気もそぞろな朝も、赤ちゃん片手に荷造りにバタつく産婦人科退院の朝も、このアイブロウと一緒だった。

この眉毛も1分で描きました。

新生児との生活はメイクどころじゃなかったけど、それでもちょっとした外出や記念写真のために、多少身ぎれいにしたい時もある。余裕のない産後の生活でもアイブロウはメイクを支え続け、ついに使い果たす時がやってきた。

アイブロウとの出会い

このアイブロウを買った日のことは、よく覚えている。21歳、大学3年生の12月、学校付近のダイエーにある専門店街で化粧品をいくつか買い込んだ。これからはじまる就職活動の一環だった。

当時はまだ隠したいシミやシワもそれほど無く、化粧の必要性をあまり感じていなかった。まして眉毛の描き方なんて、気にも留めていなかった。だけど、手始めにと参加した就活セミナーで、どうやらきちんとフルメイクしなきゃいけないらしいと聞き、あわてて買いに走ることになった。

帰り道、夕方、くもり空。手が冷えていたのは、寒さのせいだけじゃない。どんな自分になれるんだろうという希望と、どうなってしまうか分からない不安が入り混じる。就活という社会の入口を前に、漠然とした緊張が抜けなかった。

アイブロウと過ごした16年間

それからの16年間を章立てするなら、「自信を失って取り戻した20代編」と「自分の輪郭を掴んだ30代編」といったところだろうか。

就活から社会人となった20代。就活では自分の売りを掴めず、友達が内定をもらう中で焦りを募らせていた。社会人になってからも、上手くいかないことが多かった。些細な仕事すら満足にできず、何度も自分にがっかりした。それまで何となく持っていたプライドが消え去り、自分のことがよく分からなくなっていた。

未熟で不安な時期だったが、今思えば自分の根っことなる要素を育てていた。失敗した時に自分で自分を傷つける痛みを知り、誰かの失敗を大らかに受けとめる心を手に入れた。苦手の克服に疲れ果てた先に、得意を伸ばすことに人生を費やすべきだという価値観が染みついた。少しずつ小さな成功を積み重ね、20代が終わる頃、だんだん自分を好きになれるようになった。

転職・結婚・独立とライフイベントが多彩だった30代。一度目の転職で、人材育成を入口に人事の仕事に携わるようになった。キャリアコンサルタントの国家資格も取得し、自分の専門性がぼんやり見えてきた。結婚したのもこの頃だ。社会で自分が通用しそうだと手応えを感じはじめていた。

その矢先、二度目の転職で適応障害になりかけて退職。無職になった。自分の力を出せない環境があることを知った。無力感を覚えた一方で、独立してからは、ちょっとした経験もスキルとして必要とされる場所があることも知った。できることとできないこと、合う場所と合わない場所、自分の中のニーズと限界。徐々に自分の輪郭が見えてきて、社会の中で自分が必要とされる場所を探せるようになってきた。

そしてアイブロウを新調した今、私は母親という新たな入口に立っている。

アイブロウからの卒業

某ファッション紙によると、眉毛で顔全体の印象が決まるという。アイブロウは、顔の方向性を定めるアイテムなのだ。

この16年間で、私も自分の方向性を定めてきたんだろう。決して完璧ではなかったが、何とかやってきた中で身についた価値観や、積み重ねた成功と失敗の経験。その上に、大きくも小さくもない等身大の自分らしさを定めることができた。

そして、これから母親として、また育児と併走する社会人としての生活がはじまる。きっと上手くいかないことも多いだろう。挫折することもあるかもしれない。でも、そんな日々の中で何かが育まれ、何らかの方向性が示されることをもう知っている。母となるにはやや遅めだが、自分のために生きてきた16年間は、これから自分以外の存在のために生きる糧となるはずだ。

12月、冬晴れ、近所の公園。抱っこ紐で眠る息子も、来年は一緒に枯れ葉の道をザクザク踏みしめているだろうか。まだ使い慣れないアイブロウと共に、不安と希望が入り混じる新たな日々を歩んでいきたい。

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