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フォーカルジストニアになって18-作曲すること


作曲ができない

自分が弾けないという状態になってから、なんとか演奏家としての役目を少しでも果たしたいと思い、作曲をたくさんしなくてはともがいている時期がありました。

私は、輝&輝のユニットを組んでから曲作りがとにかく好きになりました。曲を完成まで自分で持っていくことはなかなかできませんが、0から1を作ると、相方やバンドメンバーが色んなアイデアをくれて100にしてくれることが喜びでした。

弾けないのならば、せめて新曲の素材をたくさん作っておこう、と思っていたのですが2018年、2019年は全く作曲することができませんでした。普段から、鼻歌でメロディーを作るということもあったので、作曲は不可能ではないと思っていたのですが、いざ楽器を持って形にしようとすると最初は思ったフレーズを弾くことができず、動かない指がストレスで全くやる気が起きなくなってしまっていたのです。

2020年〜2021年に行った時つ風ツアーで演奏した津軽よされ節をモチーフにした「時つ風」も、2019年のいつ頃からか曲を作りたいと思い最初のフレーズを思い描いていたのですが、その先が全く繋がらずなかなか形にならなかったのでした。でも、2020年秋からツアーを行うと決めた際に相方とよされ節モチーフの合奏を作ろうと決めたので、改めて掘り起こしてみることにしました。

時つ風という曲

2020年に入って、徐々に演奏に慣れてきて切羽詰まった感じがなくなったからか、コンサートのために曲を作る目標ができたからか「時つ風」の作曲はとてもスムーズに行うことができました。奇しくも、動かない指で思いついたメロディーに「この状況どうしようもないんだよなぁ、誰か助けてくれよ、でも、どうにか頑張るしかないんだよ。前に進むしかないんだよ。」という想いが込められており、この時代背景を投影しているかのような偶然が起きていました。でも、津軽よされ節の合奏部分はどうしても思うようなフレーズが作れず、相方に託しました。

津軽五大民謡は前からもそうでしたが、今の状況でも弾きこなすのが一番難しいと感じます。ジストニアの指で弾くことに慣れてきても、自分の演奏はどうしても音を誤魔化してしまう感じがして、合奏曲としてよされ節という曲を生かしきれていなく、違和感を感じてしまっていました。相方が作ってくれたメロディーは津軽よされ節の古典的なメロディーが入っている中にスパイスが加わってメリハリがあって、曲全体を引き締めてくれました。

曲構成の組み立てなども、実際に音を出すとイメージが変わることも多く、2人で弾くとどんどんアレンジが加わります。デモを1人で多重録音してみるのですが、生演奏することで曲が生き生きしてくる瞬間がとっても面白い。
つくづく一人じゃなくてよかったと思う瞬間です。


久々の輝&輝の新曲になりましたが「時つ風」本当にお気に入りの一曲が完成しました。

ロベルト・シューマン

歴史上、このフォーカルジストニアになったという最初の記実はクラシックの作曲家ロベルト・シューマンだと言われています。
彼は、ピアノの訓練の際ジストニアになり後に作曲家になりましたが、伝記を読んでみるととてもアクティブ。ピアニストは途中で諦めたものの、国を超えての音楽雑誌の出版、作曲に向けての活動や、恋焦がれるクララ・シューマンと過ごした時間は、壮絶な人生が浮かびます。
彼の指に関しての記録はあまり多くは残っていないそうなのですが、もし自分と同じ状況だったとすればかなり悩んだことでしょう。しかし、残っているシューマンの活動記録を見ると、ジストニアのことで長く考えくよくよしてたということは無さそうだということが見て取れます。
とても前向きだったのか、多才だったから一つの才能には拘らなかったのか、クララのことが好きすぎて指が動かないことなんてどうでもよかったのか、、、もちろん今とは時代も違いますし、きっとジストニアという言葉もなかったはずです。

私は国立音楽大学に通っていたのに、クラシック音楽の知識が皆無です。。なぜもっとちゃんと勉強しなかったのか。しかも、私が通っていた学部にシューマン研究の第一人者「藤本一子先生」がいらっしゃったというのに。。先生との接点は入試前の講習会なるもので、私の英訳模擬テストの点数が壊滅的で「あと2ヶ月でなんとかなるかしらねぇ。」と頭を抱えさせてしまったことくらい。。卒業後にこういうことが起こるので、ちゃんとチャンスがある時になんでも身につけておくべきです。その後悔を取り戻すべく、今更シューマンのお勉強をしています。

藤本先生にお会いしていろいろ聞きたい。。


200年近くも前に名曲の数々を残したロベルト・シューマンに思いを馳せて、最近は日々の生活の中でこんなプレイリストを流してみています。