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フォーカルジストニアになって17-個性とは?

フォーカルジストニアになったことで、私が急に気になった人たちがいました。それは、LGBTQと言われる方々や障がいを持つ方々。

元気をもらおうとか、何か生きていく上でのヒントはないか、とかそういうきっかけではなく、番組やSNSを観てただただ惹かれて「気になって仕方がなくなった」のです。

最近推している作家の岸田奈美さんが「障がいに関わったことがある方は視点が違う」と言っていて心打たれました。

"見えない壁"


一番最初に目に止まったのはNetflixの「ネクストインファッション」という番組で司会をされていたタン・フランスさん。彼の発言や立ち振る舞いが辛口の中にも優しさや上品さがあってそれがとても心地よく一目でファンになってしまいました。その後大人気番組の「Queer Eye」を知り、人々の生活も心も豊かにしていく姿を観て何度も何度も感動して泣きました。なんでこんなに温かく、優しいのだろう…と。この番組を観て、L・G・B・T・Qはひとくくりに言われていても、それぞれに当てはまる方々は抱いてる気持ちが全然違うことを知りました。

ユーモアたっぷりに、そして大きな愛で依頼者を包んでいくFab5の5人が本当に大好きです。

この人たちはここまでどんなことを感じ、どんなことを考えて生きてきたんだろうと知りたくなりました。

それらは、タン・フランスさんが自身の経験を綴った本を読んで知ることになります。

肌の色やセクシャリティーなこと、宗教的なことで家族や周りに対して様々なもどかしさを抱きながら生きてきた、と。

「自分は周りと違うと感じたが、誰にもそのことを言えなかった」

という感覚は、問題の根本は違えど痛いほど気持ちがわかったのでした。今までも、同じような話を聞いたり、読んだりしたことはあったのですが、こんなに深く気持ちを理解したと思えたのは初めてでした。

私は今まで、LGBTQについても障がいについても、自分自身では割と理解がある方だと思っていました。でも、実際には表面的なことがわかっているだけで、当事者の本当の悩みや気持ちを全くわかっていなかったんだなぁと思わされました。

井出上漠さんの「normal?」というフォトエッセイを読んだ時に、お手洗いの話がとても印象的でした。

自分は男女どちらに入ればいいのか外出する度に緊張が走る、と。

きっとそうだろうな、と想像することはできますが、繊細な想いや感じていることを多分私は理解していません。もしかしたら自分はこれまで、知らないうちに人を傷つけてしまっていたことがあるかもしれない。。

漠さんの「見えない壁がたくさんある」という言葉が胸に刺さりました。ちょっとアイデアを出せばきっと解決に向かえそうなことが数多くあるのだと思います。そういう些細な改革があれば大きな心のわだかまりが取れる可能性があることを教えてもらいました。

東京パラリンピック2020を観て

それと、もう一つ。東京パラリンピック開催にあたり、競技についての説明や選手の特集をたくさん観ました。これは、正直に申し上げると、私が大好きな「新しい地図」の3人が国際パラリンピック委員会アンバサダーをしていたから、なんの意識もせずに情報がたくさん飛び込んできました。

パラリンピック、、今まで恥ずかしながら全然観たことが無かったのですが、たくさんの種目をテレビ観戦できめちゃくちゃ面白かった!!今大会で、車椅子バスケや車椅子ラグビーでは、障がいの重さで選手の持ち点が分かれていて、どの選手も平等にフィールドに立てるルールが作られていることを初めて知りました。

車椅子バスケのルールの例。



また、卓球やアーチェリー、陸上や競泳などは障がいの種類でクラス分けされていますが、その中でも選手によって手や足など使える身体の部分が違います。なので、一人ずつがそれぞれのプレースタイルで競技しています。

同じ身体の人がいないのでお手本がいない、自分で自分を最大に生かせるプレースタイルを探さなくてはいけない

と多くの選手が言っていました。
どんな逆境も乗り越えて、記録を塗り替えていくパラアスリートの皆さんは私のヒーローでした。

また、どんなハンデーがあっても、輝けるルールが作られていたことも今回学んだ大きなことです。何かを新しくしたり、従来から変えていくことはシステム作りがすごく大変で面倒なことですが、そこさえできてしまえばこんなに多くの人の笑顔が見れるんだなと自分の仕事の教訓にもなりました。

今まで知らなかった視点


今まで、障がい=個性というような表現を何度か目にしたことがありますが、私はどうしてもそれを完全には受け入れることができませんでした。

私がジストニアになった時「武器になる」と言われたことがありました。そして、同じ病気の方が「病気を売りにしている」と言われているのを目にしたことがあります。確かに、結果的にそういうこともあるかもしれないけれど「そう簡単に言ってくれるな」と思いました。

そういう未来を想像することはできるけど、そうなるためには相当なアイデアを捻り出して、それなりの演奏が出来てからしか言えないと私は思うわけで、もしそんな演奏家になれたのなら指が動いてても動かなくても一流の奏者になれたということだと思うのです。

ジストニアは関係ない。

もし、この病気を武器にしたり、売りにしたりして生きている人がいたらそれは本当にすごいことだと思うのです。ネガティブな発言をして「かわいそうだ」という同情を煽るやり方は私はあまり好きではないのでこれはそういうことではないのですが…。やはり「ジストニアだけど頑張ってる人」というラベルを貼って見られたくないし、普通に自分にできる最大限のことをしてただただ音楽を楽しみたいだけなのです。だから病気のことを「武器」とか「売り」とかそういう言葉で表すのは違和感があります。私の気持ちに1番近いのは…踏み台?


落ち込んで暗い地の底に沈みそうになったこともあり、同じ疾患で「辛い」とSNSに発信している方の投稿もたくさん見ました。また前みたいに指が動くよう、絶対治すぞとトレーニングしてもなかなか結果が出ず悩んでいる方もいらっしゃいました。

その時どうするか、という決断はどうしても自分にかかっている。落ち込むも、前を向くもその人しか最終的に選べないのです。私はひねくれものなので、特に誰かからあれしろこれしろと言われると全くやる気が起きなくなってしまいました。

でも、ある日気づいたことがあります。指が動いてた時から、やることは同じだよな、と。その想いに至る後押しをしてくれたのが、LGBTQや障がいをもつ方々、彼らに関わる方々の活躍でした。

「Queer Eye」の中でFab5の一人ジョナサンがゲイの男性の「自分のような人たちが理解されるために世の中に発信したいけれどなかなか勇気が出ないと」いう悩みに対してこんなアドバイスをしていました。

「あなたがとても過激になって
ゲイは恥ずかしいことだという態度を取ると
あなたの周りにいる人はゲイの男性は過激だって思ってしまうわけ
でもそんなことしなくていい
こういう服装もね
心の中で自分のことを過激に愛して
そして人と違うように生きるのは恥だっていう世間の考えに同意しなければいいの」

この言葉を聞いて、何かわかってほしいことがあっても自分に無理をしてまで訴えなくてもいいんだと思えました。何かを変える必要は全くないし、ただ自分を愛しなさいと言う言葉はものすごく安心したし、それだけで2歩でも3歩でも前に進めそうです。


私も自分のことに対して「指が動かなくても、制限されることが変わるだけで同じ意識でやっていけばいいのでは!?人と違うフレーズを考えたり、演奏技術を磨くことは今までもやってきたではないか」と思えるようになったのです。
指が動いている時はみんなと同じにできるところはやらなくては、と逆に人と比べるというフィルターがかかってできなかったけれど、指が動かなくなったことでできるようになったこともありました。

例えば、

【前】細かい音を入れないと技術がない人と思われたら嫌だからたくさん入れなきゃ
【後】装飾音入れる?無理無理。なるべく一つの音の余韻を伸ばそう。
----------------
【前】今まで誰も弾いていなかったメロディーを考えよう
【後】何が弾けるか分からないからとりあえず色んなフレーズ真似してみたけど、完コピは無理。自分が弾けるように直しているうちにオリジナルのフレーズになっちゃった。

など。

今まで、考えてもいなかった視点で自分が動き始めていて驚きました。これは、もしや指が動かなくなったことによりラッキーなことが増えてるのでは!?


人と違うこと自体が個性なのではなくて、行動してきたことが結果として個性になるのだと感じました。


私が最近敬愛して止まない作家の岸田奈美さんが「障がいに触れたことのある方は生きていく上での視点が違う」という話をしていました。今まで私が感じていた気持ちの答えはそれだと思いました。私がジストニアになって惹かれ始めた方々はみんなそういうちょっと独特な視点を持っていたからなのだと気づきました。

人と違うところがあっても、なくても、出来ること出来ないことは人間には平等に与えられてる。それをどう理解して、アイデアをだして行動に移せるかで、優しさの輪は広がっていくのだと感じています。

岸田奈美さんの発信する想いを私も受け継ぎたい。。
センス良く、自分のやってることに繋げたい。。
と思っているのですが、全然まだまだ勉強不足で…。
いつか、自分でも発信できる何かを見つけるために、色々学んでいきたいと思います。


岸田奈美さんの言葉の数々を見て涙が出てしまうのはきっと、「大変な経験されてるのですね」と思うからではなく、今まで気づくことが出来なかった価値観にハッとさせられ、課題を乗り越える生き様がかっこいいからなのでしょう!