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越年越冬報告ならび桐島聡さんのこと

一支援者として関わる釜ヶ崎の越年越冬闘争報告を市民運動のニュースレターに頼まれ書いていたら、いつのまにか東アジア反日武装戦線・さそり部隊の桐島さんのことも述べていた。以下転載。

釜ヶ崎・旧あいりん総合センター越冬闘争報告

 年末年始(12/29-1/4)、旧あいりん総合センター周辺で5回目の越冬闘争を行った。2019年閉鎖のセンターでは、シャッター沿いを中心に野宿の仲間が生活をしている。翌年には立退を求めて府が提訴、下級審では府側の主張が基本通り続け、現在最高裁判決まちだ。判決がいつおりるかわからず緊張したままいつのまにか年末入りし慌ただしく越冬闘争に突入、各地からの多くの支援に支えられて布団敷き、映画上映会、餅つき等行った。

 ところで先日、戦前は侵略戦争へ積極加担、戦後は経済侵略を行った建設資本に対し、爆弾で攻撃を行い長年指名手配されていた桐島聡さん(と思われる方)が名乗りあげるかたちで亡くなり話題となっている。報道によれば、長年偽名で工務店勤務をしつつ、意外と"普通"の生活をしていた桐島さんは保険証もなく入院したそうだ。SNSでも"(まだ入院事情不明確な時を中心に)保険証は誰かから借りたはずだ、だから協力者を狩るべき&マイナンバーに一本化すべき(?)"だとか土建労働現場の"ガサツさ"の珍奇性・悪質性を殊更にとりあげたものが話題となっていた。

 しかし、入管体制下の仮放免者も含め無保険で治療を受ける(あるいは受けられない)人々はたくさんいる問題だ。また、建設土木の重層的下請構造をはじめ、身元不明確な労働者でも大量に使い潰し、労働者たちが作ってきたインフラに胡座をかいてきたのが国家と市民社会ではないか。いづれも今日にはじまったことではないし、誰も見ようとしなかっただけだ。こうした、不可視化されつつも国家と市民社会が利用してきたものとして、70年万博で労働力を吸い上げるために男性単身労働者の街として形成された釜ヶ崎もあったと思う。

 その上で、釜ヶ崎は不可視の圧力にさらされながらも、物理的に集住地域であり、偶には暴動を通して存在を訴えたように、貧しい者の身体が集まり可視化され抵抗の拠点にもなり得た(公園の野宿者テント村にもいえるかもしれない)。ただし今度は25年万博も1つの口実とした再開発でそこにいる貧しい者とともに用済みにされ、縮小しつつある。センターの件もその一環だ。

 行政と資本がどんなに追い出し不可視化しようにも、貧しい者はこれまでもこれからも存在し続けるし、病を患い労働能力を喪失した1人の身体でも何事かを訴えているものだ。桐島さんをめぐるあれこれはそれを思い起こさせてくれるように思う。そうした人々が各々にとってよい状況を選べるように共に活動していきたい。センターの最新状況についてはx(旧Twitter)の@OpenKamaCenterを参照されたい。

(『都構想パンフ訴訟を支える会ニュースレター』vol.17、2024.3.1)

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