重層的な革命運動史学習の一助に ――風間竜次『でくのりゅうの釜ヶ崎無宿―挽歌とノスタルジー』(2021年2月)を読んで

 ■「大阪環状線新今宮駅に降り立った。一九七一年五月のことだ。まず目の前の光景に圧倒される。」からはじまる本書は、山谷や釜ヶ崎といった寄せ場をはじめとする運動――担った人々は「流動的下層労働者」という概念を生成させたといえるだろう――で闘い、この本の完成直後に亡くなった風間竜次氏による1970年代前半から80年代前半の釜ヶ崎時代回想録である。「「現状打破」のエネルギーが満ちており、こうした民衆の主体的行動が「世直し」の根本だ」と「興奮しながら確信」する暴動との出会いから、立場が弱い日雇労働者とその雇用者・手配師(仲介者、要は中間搾取者)の力関係を逆転させた現場闘争、そして、労働者に愛着をもって “カマキョー”と呼ばれてきた暴力手配師追放釜ヶ崎共闘会議の結成(1972年)、オイルショック後の不況や国家権力による激しい弾圧、「全国に散在する日雇い労働者・下層労働者」に団結を呼びかけての全国日雇労働組合協議会(日雇全協)結成(1982年)、右翼暴力団との闘いのために山谷へ向かうところまでが書かれている。加えて、回想される折々の時期に書かれた文章や、「済州島・旧「満州」紀行 植民地支配の痕跡を歩く」が資料として収められている。なお、著者もその一員たる、山谷における右翼暴力団との対決のなかで撮られたドキュメンタリー映画『山谷(やま) やられたらやりかえせ』(佐藤満夫・山岡強一/1985年)の制作上映員会HPによれば、「本書は、1982年の日雇全協結成を経て、山谷での右翼暴力団金町一家との熾烈な闘いの嚆矢となる83年11月で終わる。後篇となるべき「山谷無宿」篇刊行が望まれる所以である。」とのことである。
■本書を読んで印象に残ることとして、著者の釜ヶ崎入りするときの「明るさ」とも言うべきものがある。「圧倒」させる光景たる、都市に可視化された“生け簀”のような労働力市場を前にして「ウキウキしながら人ごみの中に紛れ込」んだり、「ワクワクしながら」暴動を見に行き、先述の「確信」を得て釜ヶ崎での活動を決意(ただし「組合運動などする気」はないのである)する様子などにそれは表れていないだろうか。高度経済成長期、国レベルの高い関心と介入の下で労働力を効率的に動員するために空間が建造されていった釜ヶ崎をはじめとする寄せ場という「下層社会」には全国各地から主体的にか非主体的にか多くの人々が―—ある人々はアイデンティティの消去とともに空間的移動をするという意味における「亡命者」として¹――集まった。こうした状況で、きびしい搾取・収奪・差別の下にあった労働者の「自己表現」たる暴動に示される抵抗のエネルギーや、その他にも何かが、この「明るさ」を引き出した、あるいは共振したものがあったに違いない。また、そのうえで、「活動家」としての著者と「労働者」の同一化しえない(/しない)距離感・緊張感や、そこから生まれる創造にも注目する必要がある(越年越冬闘争における「相撲」のはじまりや、鈴木組闘争における労働者たちそれぞれの「オトシマエのつけ方」、オイルショック後の「収容所闘争」のシーンを特に参照のこと)。こうした「明るさ」と「距離感」は、革命運動における大衆と活動家の関係をめぐる弁証法・創造性²についてのみならず、釜ヶ崎―寄せ場における「よそ者」のもつ意味³、そのほか運動論(組織論)・運動史に多くの示唆を与えているのではないだろうか。例えば、それらの描写には、「活動家」に「発見」されるだけのマイノリティではない労働者たちの闘いと存在が確かに記述されている。これは、運動史における、「1968年革命」をめぐる議論にもあらわれているような、単一の出来事に多くを還元させてしまうことに抗しているといえよう⁴。だからこそ、あえて言うならば、もともと入管闘争に関わっていた著者の理論的実践的個人史と釜ヶ崎の交差をより詳しく知りたいと私は思う。
■半世紀以上前、パリ・ペトログラード・ブタペストといった都市の名は革命の輝ける歴史の象徴として語られるが、むしろ革命の困難さを暗示しているのではないかと、ある新左翼の評論家は述べていた。山谷―寿―釜ヶ崎(―笹島)という連なりも類似の問いかけをしていると思わされることがある。その場所を経由しない日雇労働力求人網の構築、加えて都市間国際競争にもとづく再開発・大規模イベントの圧力で寄せ場の縮小・解体は進んだ。釜ヶ崎では監視カメラは増え続け、本書で「溶鉱炉」と表されるように運動の結節点的場所としてあった「あいりん総合センター」も縮小傾向で建替がなされようとしている。また、「今」の大学生へエールを送りつつたびたび言及される、潜伏に適した、いわば“アジール”としての学生寮もなくなっている。しかし、下層労働者の抵抗の身振りは、かつての暴動(そこから現場闘争が切り開かれた)のみならず、ある人には見えづらくとも、これまでもこれからも、資本主義社会へのするどい異議申立てとして、具体的にある。本書はその記録の1つであろう。


1.西澤晃彦『隠蔽された外部 都市下層のエスノグラフィー』(彩流社、1995年)を参照。
2.大衆と活動家の相互関係や創造性については湯地朝雄『プロレタリア文学運動 その理想と現実』(晩聲社、1991年)における蔵原惟人や小林多喜二等の「大衆」観に関する記述、同『戦後文学の出発―野間宏『暗い絵』と大西巨人『精神の氷点』(スペース伽耶、2002年)における生産力理論、部落解放運動に関する記述、池田浩士『ボランティアとファシズム 自発性と社会貢献の近現代史』(人文書院、2020年)の東京帝大セツルメントに関わった群像部分等参照。
3.「よそ者」と釜ヶ崎の関係についての1つの参照項として、寺島珠緒編著『釜ヶ崎語彙集 1972-1973』(新宿書房、2013年)の「学生」の項目をあげておく。「一九七一年五月暴動以来、学生扇動説がかなり定着したが、実態としては元学生とか学生くずれ、学生あがりと呼ばれてもやむを得ない者が、活動家として居ついているということだろう。彼らを一括して労働者は「学生」という。侮蔑や警戒(時には敵意)をこめている。」。なぜなら、「学生」は「その気になれば転生できる人間」であり、「転生できない存在としての労働者が、転生できる者の犠牲になることは、この地域では真理というより事実としてある。」から。そのうえで、「ただ、「学生」という言葉に若干の信頼、敬意がふくまれはじめたことは、今日の状況(※1973年)としては記録しておくべきだろう。」と付け加えられている。また、この「学生」問題や釜ヶ崎労働者の歩く空間を鮮やかに描写した漫画としては青木雄二「悲しき友情」がある。『青木雄二傑作漫画短編集 50億円の約束手形』(宝島社、2017年)。
4.山本祟記「運動的想像力のためにー1968言説批判と<総括>のゆくえ」、大野光明・小杉亮子・松井隆志編『「1968」を編みなおす 社会運動史研究2』(新曜社、2020年)、8-23ページほか参照。

補・最近の同人誌『レーテ』vol.1(2021年11月1日発行)に書きました。私のはともかく、すばらしい文章ばかりなんでぜひ『レーテ』読んでください⇒紹介されているツイ

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