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近況報告

◆お礼
この春に、なんとかというか、結局というか大学を卒業しました。卒業論文は「「都市への権利」としての記憶―船本洲治の「国内植民地」概念とその変遷について」なるものです。活動家・船本洲治(1945-1975)、あるいは船本が主に活動をした寄せ場運動の足跡をたどると、「市民社会」や国家権力との関係、あるいは同時代の黒人解放運動の影響から、独自の意味をこめた「国内植民地」という概念が山谷や釜ヶ崎といった寄せ場を説明するときに使われるようになります。しかし、その「国内植民地」概念は少なくとも船本のテキストでは徐々に消えていきます。卒論では①寄せ場運動の内部問題、➁「国内植民地」概念自体のはらむ問題という視点からその意味を問いました。ど素人ながら、地理学的なもの(ルフェーヴルやらハーヴェイ)、そして、インターセクショナリティ(交差性)概念を導きの糸として書き、言い訳はいろいろありますが、今回卒論は自分の不勉強さを明確に、そして、今後なすべきことをある程度自覚するよい機会になりました。近いうちに一部をブログあるいはミニコミ誌に転載程度はしたいと考えてます。
卒論そのものというより、卒論執筆過程においては、大学外の知人・友人(多少はこのブログも読んでいるかな)にとりわけ精神面において助けられました。ほんとうに感謝します。なお、経済学部に何年もいたものの経済学の勉強はほとんどしてこなかったので、これから経済学の勉強はしていきたいと思ってます。私に寛容だった教員にも改めて感謝します。そして4月以降は関西の大学院(社会思想史系)で研究生をやりながらあいかわらずだらだらと社会運動史、社会主義思想に関わるものを読み続けています(基本ここ数年生活は変わっていない)。

◆釜ヶ崎について
また、私はここ数年、<野宿者支援・運動>に関心をもち、ささやかながらかかわってもきました。”あいりん地区”とか”西成”のほうがよく使われる表現だと思いますが、大阪・釜ヶ崎なんかでは、ジェントリフィケーション(貧しい人々の追い出し)がすすみ、労働関係複合施設だった旧あいりん総合センターでは大阪府が立ち退きをもとめ野宿者を「債務者」として裁判を起こしました(つい先日、府側の主張を認める最高裁決定)。社会保障制度なり配慮なりは進んできただろうし、また、どんなに進んでも、これまでもこれからも野宿者は存在します。当たり前ですが、社会保障制度なりがあることでもって、野宿者に裁判起こしたり、暴力をしてもいいわけがないです。ここ最近、そういう状況の釜ヶ崎について一支援者として書いたり喋ったりする機会ありました。以下になります(そのほか本note他記事参照)。

・「座談会・現場から考える社会運動の課題と展望」(『人民新聞』no.1821=2024.2.20号)
・「共同炊事・下層解放・動物解放」(『情況』2024年春号/特集=食)

最高裁判決確定を受けて、釜ヶ崎では強制排除の可能性がでています。支援・注目を、私からもよびかけさせてもらいます。SNSでは、釜ヶ崎センター開放通信、釜ヶ崎地域合同労働組合等が参考になるかと思います。

◆いくつかやろうとしていること
昨年末あたりから「新左翼思想・理論読書会(仮)」というものをやっています。狭義の新左翼にかかわらず、社会変革の思想・理論と運動の接点に注目したいなあという問題意識があります。春は主にすが秀実『1968年』を使い、6月からは津村喬『横議横行論』を月2回程度(水曜日の夜)読みます。関心ある方お声掛けください。情報共有かねたDiscordサーバーもあります。
その読書会との関係で、運動と思想の歴史に焦点あててミニコミをつくろうかなと考えています。私としては、活動家への聞き取り記録(話を伺う小規模の集い記録)、また関心ある向井孝や藤本進治について何か書こうかなと思っています。怠け者なので(また、ミニコミづくりは好きでよくつくっては短期間で終わらせているのだが)、秋になる前に具体化しこちらでも報告はさせていただきます。こちらも関心ある方声かけてください。

◆さいごに
単純に生活困難です。体調が芳しくないなどの事情があり、ゼミで使う書籍を購入できなかったり、唯一の靴であるワークマンの980円安全靴(愛用している)を補修しながら履いている程度にはお金がありません。この記事に投げ銭カンパしていただけると大変助かります。

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