かなめ

立教大学学生 / 憧れの人:池田晶子、坂井泉水、猪熊柔、小林秀雄、永井一郎、高橋留美子

かなめ

立教大学学生 / 憧れの人:池田晶子、坂井泉水、猪熊柔、小林秀雄、永井一郎、高橋留美子

最近の記事

痛かった、これが親の気持ち?

僕はまだ結婚していない だから親じゃない 先日、ある人にプレゼントをした 喜んではくれた でも、その上にベトベトのジュースを置かれて気がついた イタッ、これが、子を想う親の気持ちか そのプレゼントは僕の 宝のもの

    • 便所で考える

      僕は漫画家の浦沢直樹先生のファンで、よく彼の作品を読みます。 その中で「MASTERキートン」という作品があるのですが、初めて読んだときにある言葉に衝撃が走りました。 学問はどこででもできる。 便所の中でもな (平賀太平) ここで言われていることは大学だけでなく、考えるということはどこででもでき、その一例として便所を上げています。 なるほど、本当にその通りだなと思ったのです。 この言葉をしばらく自分の中で熟成させていると、不意に、トイレで一回本気で思索してみようと考えま

      • 嫉妬、嫉妬、嫉妬 よくよく見たら女が2つもある。 俺は、女、なのか? もう一度よく見る やはり女が2つある 全てが膨らんで、膨らんで、膨らんで 果てが無く、世界で自分だけが、しんどくなる 全部頭の妄想だとわかっていても その妄想が身体を支配する あ、また、女という字が出てきた 「嫉妬」「妄想」 これが女? ・・・・ どっちにしても 時間がかかる

        • 成功=失敗

          成功と失敗は全く正反対の対義語で、それが同じ(=)なんて考えられないと思う方は結構多いと思います。 失敗なんかせずに成功だけをもぎ取りたいと。 しかしこれは「成功」という言葉をよくよく吟味すると、ありえない妄想だということが分かるはずです。 僕が言う失敗とは、目に見え、数字でも表れる明らかな結果だけではなく、成功までに現われた砂をかむような悔しい気持ちや挫折感も言います。 まず、僕が真っ先に疑問に思うのが 失敗せずに成功したと言うけど、それって成功じゃ無くて出来て当たり前

        痛かった、これが親の気持ち?

          分かるということ④

          前回は僕の体験をもとに、自分と登場人物が一つになる過程を書きました。 この記事で「分かるということ」のシリーズは最終回となります。 ずっとこのタイトルに疑問を持たれていたかも知れません。 分かるなんて普段私たちがやっていることでしょ、って思われている方がいるかもしれません。しかし、分かるというのは実は最も罪深いことと言えます。なぜなら、分かったと判断するともうそれ以上考えようとしないからです。考えるというのは分からないものしか考えられないです。 なので、人間は軽率に分かっ

          分かるということ④

          分かるということ③

          前回に登場人物と一つになるために具体的に意識することを書きました。 それは、五感、幸福、動き、でした。 今回は僕がどのようにしてテレビの画面という壁を無くして、登場人物と一つになったかを書いていきたいと思います。 僕が使ったのはアニメでした。浦沢直樹原作の「YAWARA!」という作品で、主人公の猪熊柔というキャラクターを対象にしました。 「YAWARA!」という作品は主人公の柔が柔道でバルセロナオリンピックの金メダルと国民栄誉賞を取るまでを描いた作品です。その主な道筋に沿

          分かるということ③

          分かるということ②

          前回は五感に関して、テレビの画面という壁を無くして演者と一つになることについて書きました そこでは演者が感じるであろう五感の刺激を視聴者も身体全体で想像して感じると演者と視聴者が一つになりえるという事を書きました。 今回はそれに関してもう少し踏み込んだ話を書いていきたいと思います。 映画、アニメ、ドラマといった所謂、物語ものでこれが役に立ちます。 物語というのは色々な登場人物がいて、色々な個性があり、ぶつかり、ドラマが生まれます。それらの過程で登場人物に感情移入すると思

          分かるということ②

          分かるということ①

          先にメディアというものは一体何なのかということについて書きました。 大まかに言うと、メディアというものは画面という壁を置いているせいでリアリティが伝わづらいということを書きました。 今回は、ではどのようにしてメディアと付き合っていけば良いのかということについて数回にわたり書いていきたいと思います。 画面という壁があるおかげで、向こう側(演者側)とこちら側(視聴者側)に差ができて距離が発生します。それ故、身体が動かない、つまり視覚聴覚などの五感が働かなくなります。それに頭で

          分かるということ①

          「心を開いて」

          My dream Your smile 忘れようとすればするほど好きになる それが誤解や錯覚でも 心を開いて (心を開いて / ZARD) 自分が悪いことは分かっている。 自分が頑固になっていることは分かっている。 わがままだということも。 こんな悩みは人生ずっと幾度となく現われてくる、と悟った。 だから何もかも投げ捨ててしまう。 でもなぜか心の中の灯が、あの人の影を、作り続ける。 その灯を消せば、何もかも楽なはずなのに。 この世はなぜか逆説で満ち満ちている。

          「心を開いて」

          「デブって悪ですか」の記事を読んで

          昨日(7月31日)の毎日新聞の夕刊であるYoutubeのネット広告に対する悲痛の声を取り上げた記事が一面に載っていた。 前々からこういう類いの広告には僕も不快に思っていた。まず、広告の演出があまりにも露骨すぎるのである。こんなものを子供が見たら、大人ならまだしも、大いに嫌な気持ちになるだろう。 そしてもう一つ気になるのが、声だ。 これはどう聞いたって素人声優を使っていることはすぐに納得できる。 内容が内容だけにしっかりプロの声優を使うには気が引けるといった所だろうか。こうい

          「デブって悪ですか」の記事を読んで

          折り合うということ

          どうしても上手く事が運ばないと嘆くことは誰にだってあるでしょう。 もうイヤ、何もかも面倒になった、極端なことを言うと、死にたいと思う人もいるかと思う。 しかし彼、彼女らは一つ大事なことをしていない。 それは考えるということです。 そもそもこの人達の頭では「全てのことは自分の思い通りに事が運ぶ」と思い込んでいるようだ。 思い通りになるとは一体どういうことだろう。 腕を上げようと思うと上がる。下げようと思うと下がる。初速はこれくらいで角度はこれくらいに設定すると物体はどこどこに

          折り合うということ

          論理的に説明できない大切なこと

          この世は論理で全てのことを説明できると思っている人がいるみたいだ。 例えば礼儀作法について戦後からだんたんその意識が薄くなっているように僕は感じる。もっとも僕は平成10年生まれなのでそれ以前を実際に見ていたわけでは無いですが。 僕は、例えば、食事のマナーについて母親からよく注意を受けていた。だいぶマシになったが今もやはり注意は受けます。 ここで仮に、以下の会話をしたとする。 「たとえ食事のマナーが悪くてもお母さんに迷惑かけてないじゃないか。お母さんの食事を邪魔していたのな

          論理的に説明できない大切なこと

          私たちは何を信じているのか

          私たちは日々テレビやネットといった映像のメディアに接します。それらから自分たちの有益な情報を手に入れます。もちろんその側面ではこれらのメディアは私たちの力になってくれるでしょう。 しかし、別のやっかいな側面も見えてくるのです。 それは身体がほとんど動かないことです。 これにより人間の少し愚かな所も見えてきます。 まず現実の世界について考えていきたいと思います。 この現実の世界とは、五感で知覚する具体的な世界のことを言っています。 目で見て、音を耳で聞き、匂いを鼻で感じる

          私たちは何を信じているのか