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【4-0812】自室を失う

【このnoteを開いてくださった貴方へ】

こんばんは、要小飴と申します。

関西にある遊気舎という劇団の末席に身を置き、演劇に勤しんでいる者です。平日昼間は保育園の先生をしています。

このnoteは、そんな私が日々の所感を記録しながら、自分の思考を再確認したり、自分なりの表現を探したりする、そんなものにしたいと思っています。

無事に帰省。いや、無事というか、自由席に乗るためにみずほを選んだのだが、先発ののぞみが出発しないためにみずほの出発が遅れたり、赤穂市のあたりで、前を走るのぞみが車両点検しているからという理由で謎の橋の上で信号停止したり、

横を新幹線が通り抜けるとべらぼうに揺れて怖かった

博多から佐世保までの特急電車のみどりは冷房が効かなくて、汗で襟足がびしょびしょになるし、無事とは言い難いのかもしれないが。

何はともあれ、到着。

実家は祖母の初盆のため、親戚がちょいちょいお参りに来ている。その隙間を縫って叔父が駅まで迎えに来てくれた。お茶菓子の買い出しを終えて、やっと家に着いたところで、また来客。孫はどう振る舞えばいいかわからず、居間のソファでnoteを書いている。

帰ってきて衝撃を受けたのだが、今日は座敷で寝るように言われた。自室のエアコンが壊れているのだ。自室と言っても、母と二人の部屋だった。私の実家は母の実家だったところで、小学生の頃に出戻ったので、それ以降高校卒業まで、私と母は同じ部屋で寝起きしてきた。家を出てからも、私のものだった部屋は、すっかり母のものになっていたけれども、帰省した際には当然のように母と同じ部屋で寝ていた。

それが初めて、座敷で寝るように言われたのだ。なんだか、自室を失った気分だ。

いや、でも、そういえば、初めてではないか。ここまで書いてふと気付いたが、実家が「おばあちゃんの家」だったときには、長期休暇のたびに一人で泊まりにきて、座敷で寝ていたのだった。(私の自室だった部屋は、元々は叔父の部屋だった。)その頃に戻ったと思えば、なんてことはない。あの頃、この家は私の特別な場所だった。ここにくれば、楽しいことが待っている。座敷で寝ることもまた、ワクワクする特別なことだった。

今夜、果たして私がワクワクするかはわからないが、はるか昔の思い出に浸りながら寝るのも悪くないかもしれない、かな。

いつも見守ってくださってありがとうございます! これからも表現活動、創作活動に勤しんでまいります。 要🍬 小飴