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【4-0414】得手不得手

【このnoteを開いてくださった貴方へ】

こんばんは、要小飴と申します。


関西にある遊気舎という劇団の末席に身を置き、演劇に勤しんでいる者です。平日昼間は保育園の先生をしています。

このnoteは、そんな私が日々の所感を記録しながら、自分の思考を再確認したり、自分なりの表現を探したりする、そんなものにしたいと思っています。

人には得手不得手があるものだ。最近、自分は何かを省くことよりも付け足すことのほうが向いている、のかもしれないと思っている。

「現状」というものがあって、これをより良い(適切な、心地よい)状態に変えようとするとき、考える方向性は二つあって、一つは「現状」について無駄な事柄や不適切だと思われる部分を取り除く方向。もう一つは「現状」に何か新たな要素を持ってきて、気持ちの矛先を変えたり、状況を多面的にする方向。この二つはどちらか一つだけ、ということではなく、どちらもを同時並行で行うものだと思う。

それで、私はこの二つのうち、何か新たな要素を持ってきて、混ぜっ返すほうが好きだと最近気付いた。そもそも、省くことが苦手な性格ではあるのだけれど、それ以上に何か新しいことを考えると日常がいつも実験的になって、心が動きやすい。きっと効率を考えたり、「現状」にメスを入れることに喜びを覚える人も一定数いるのだと思う。好きこそものの上手なれという言葉もあるように、得手不得手も結局は心が向くかどうかが大きく関係している。

前述の通り、どちらの方向性も同時並行で考えていきはするのだけれど、「現状」を思うとつい反省ばかりになって、省くことばかりを考えてしまう。でも、それはそこそこに、新しいことを付け足していくことを考えると、気分も前向きになる。私の場合は、だけれど。これが新たな悩み事になる人もいるだろうが、単に私はそうではないようだ。

というか、これは私の考え方もあるのだろうな。私はどこかで、他人も状況も、自分の性格さえも、今あるものを意図的に変えることは難しいと思っている。基本的にそういうものは、誰かに出会って知らないうちに影響を受けてとか、成り行き的にとか、そんなふうに、副次的に変わっていくもので、変えようとして変わるものではない、とどこかで思い込んでいる節がある。だから、問題点を直接的に解決することに、あまり望みを持っていないのだと思う。

悩み事があるなら、食べて飲んで忘れようみたいなことか。こう書くと身も蓋もないな。

いつも見守ってくださってありがとうございます! これからも表現活動、創作活動に勤しんでまいります。 要🍬 小飴