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雨の日が好きだった頃の話

おはようございます、要小飴と申します。

世間がさらにぐんと動きましたね。思い悩むことも多くなります。皆さん、お元気ですか。

トップの画像は私のカメラロールに入っていた唯一の雨の日の写真。雨の日ってあんまり写真撮らないですね。意識したことなかったけれど。

さて、今日は私の思い出を少しお話します。

小さい頃、というのは先日の本の話の記事↓

にも書いた、山の上のほうに住んでいた頃のことなんですが。

その頃、私の家はいわゆる兼業農家で、父はサラリーマン。父が働きに出ている時間は母が祖父と一緒に畑や田んぼの世話をしていました。身体の強くなかった祖母も家の近くの畑には出て、草取りやらなにやら(私は小さかったので、具体的に何をしていたのかはわかってなかった色々)をやっていました。幼稚園や小学校から帰ってきても、家の中には基本的に誰もいなくて、私はしーんとした家の中で本を読んだり、空想したりする子供でした。家の中がしーんとしていることは当たり前のことだったので、時折する家鳴りが少しこわかったくらいで、それを特に寂しいと思ったことはなかったのですが、反対に一つ嬉しいことがあったのです。

それは雨が降ること。

雨が降る日に小学校から帰ると、母が家にいるのです。雨が降ると二階の私たちの部屋に電気がついていて、いつもは畑で働いている母がテレビを見ながらアイロンがけをしているのです。これが、私は非常に嬉しかった。

いや、お前それ、寂しかったんやんか。

と突っ込まれるかもしれないですが、実感としては、日常は日常としてずっと流れているわけで、それに何か欠けたところを感じるほどの経験値が私にはなく、日常とはまた違う、とても稀に起こる幸運な日、くらいの認識でいました。今でも私はアイロンのスチームの匂いを感じると、あの雨の日の嬉しい気持ちを思い出します。

子供の頃のそういうささやかな思い出は、大人になってからも時々背中を支えてくれることがありますね。


これは、今働いてるお父さんお母さんが家にいられる、いられないとか、そういう話ではなく。

日常と違うという意味で非常事態が今起きているとしたら、その中で少なくとも身体が健やかであるとしたら、その状態をいつかささやかな思い出に出来るような毎日にしたいなと思いました、というお話でした。

今それぞれの立場で、家や職場でお仕事を頑張っている人にも、あの頃家族のために毎日汗水流して働いてくれていた母にも父にも、心からの敬意を。


そして、世間が動いた結果、今月中に開催予定だった劇作イベントと劇作試演がすべて中止になりました。


たくさんの方々に参加申し込みいただいていたのでとても残念ですが、皆さんがそれぞれいつもとちょっと違う時間を過ごしたその後で、また集まって劇作できたら、今よりもっと楽しいことが出来そうな気もしてきました。

皆さん、これからもよろしくお願いします。またお会いできる日までどうぞお元気で。

あ、noteは続けるので、良かったら読んでやってくださいね。

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写真は名古屋の某劇場に行くと必ず見た立札。これもまた背中を支えてくれるささやかな思い出。

それでは今日はこのへんで。

要小飴

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いつも見守ってくださってありがとうございます! これからも表現活動、創作活動に勤しんでまいります。 要🍬 小飴