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【4-0712】ただいま帰りました-近況、心境

【このnoteを開いてくださった貴方へ】

こんばんは、要小飴と申します。

関西にある遊気舎という劇団の末席に身を置き、演劇に勤しんでいる者です。平日昼間は保育園の先生をしています。

このnoteは、そんな私が日々の所感を記録しながら、自分の思考を再確認したり、自分なりの表現を探したりする、そんなものにしたいと思っています。

一週間のお休みが明けた。この編集画面を開かない毎日に、ちょっと早い夏休み的な感覚になった。夏休みと思うと短すぎるか。でも、だいたい学生時代の私は夏休みはダメ人間になっていくタイプだったので、長さはこれくらいがよき加減だったと思う。

やはり、1日、2日めくらいまでは、朝起きて晩寝るまでに見聞きしたことを「これをnoteに書くなら」などとよぎる瞬間があった。習慣とは不思議で恐ろしい。

これまた不思議だと思ったのは、書くことをやめたら、つまりアウトプットをやめたら、シーソー的にインプットが多くなりそうなものだけれど、結果的にはインプットの量も減った。これは「生活の要素を仮に名付けると」、という括弧書きのついた分析であって、子どもたちの表情一つからでもたくさんの幸せと情報を手に入れているわけだが、そういうものとは別の、いわゆる「情報」と呼べるであろうものへのアンテナの感度が落ちたように感じた。

やはり、私は息をするように表現をする人間ではないのだろう。最初からわかっていたことだが。つまり、私は息をするように表現をする人間ではなくて、息を表現にしようとする人間なのだ。

世の中には、やらずにはいられない人間というのも確実に存在する。そういう人は生命のサイクルが表現と直接的に結びついている、と思う。私はそうではない。私は自分が敢えてそれをやりたいと選びとった人間だ。生命のサイクルの上にそれを担いでいる。私はそうだし、そのことを、でもちゃんと誇る気持ちがある。

この誇る気持ちの存在にまで気付くことができたので、このお休みにも意味があったと感じている。その上に、さらにだからこそ、もっと反省するところもあって、私は伝えようとしなければ伝えようとできない人間なのだ、ということをすぐ忘れることをそろそろやめたい。

そもそも伝え下手であって、お休み前のnoteにもそんな話を書いたりもしたけれど、それに加えて私は、どんな関係でも、大好きが行き過ぎると自分にその人を取り込んでしまう傾向がある。自分と相手の境界がなくなっていって、そうすると自分と同じ扱いになって、結構ケアレスになる。特に自分に余裕がないと顕著だ。気持ちは行動で示すものだ、と思っているけれど、そう言いながら自分が行動することを忘れる。そういうところがよくないなと思う。

好きな人たちには、ちゃんと行動する。わかってくれるだろうじゃなくて、一挙手一投足が何かを伝える手段になりえることを思いながら生きていきたい。

そんなことを思う一週間のお休みだった。心境の報告はこんなもんで、近況の報告としては髪を茶髪にした。そもそも地毛真っ黒さんでもないし、光に当てないと気づかないレベルだけど。惰性じゃなくて、色んなことに楽しみを見出していきたいと思った結果、髪を染めたいという欲求が湧いた。

いい感じに光を受けた

こんな感じ。暑くなってきたけど、夏バテ必至な流れに逆行して食欲が戻り、一昨日ついに給食のおかわりもすることが出来た。7月に入って本当に憑き物が落ちたようだ。これから夏本番、ヘルシーに過ごしたい。

ということで、久しぶりだから長文駄文で申し訳ないが、今日はこれまで。

いつも見守ってくださってありがとうございます! これからも表現活動、創作活動に勤しんでまいります。 要🍬 小飴