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【3-0112】改めまして、朗読Barのこと

【このnoteを開いてくださった貴方へ】


こんばんは、要小飴と申します。


関西にある遊気舎という劇団の末席に身を置き、演劇に勤しんでいる者です。平日昼間は保育園の先生をしています。


このnoteは、そんな私が日々の所感を記録しながら、自分の思考を再確認したり、自分なりの表現を探したりする、そんなものにしたいと思っています。

改めまして、1月11日(水)の朗読Barありがとうございました。ご来場いただいた方、SNS上などで気にかけていただいた方、皆様に感謝申し上げます。昨日のnoteは本当に取り急ぎのお礼だけだったので(なにしろ、終演後の余韻というのは時間泥棒なもので、その日のうちにしゃんとした文章は書けませんでした)、今日もう一度振り返りをさせていただこうかと思います。

今回私は、朗読Barの会場がcommon cafeに移って以来初めての出演でした。会場が突劇金魚さんのアトリエだった頃は、アトリエの建物そのものが物語めいた空間で、演者はあの建物の空間と共に存在する感覚がありました。

その頃の、本番前の準備中の写真。

それはそれで難しいところもありましたが、一つの安心感がありました。もうあの場所では出来ないのだなぁ。寂しい。

それはさておき、common cafeでの朗読Barも、アトリエとはまた違う意味で、空間がとても素敵です。並べられた椅子、その前方に、この時間のためだけに設えられた慎ましいステージ。きちんとした暗転。とても贅沢(と私は思います)な場所。でも、その分演者としては少し敷居が高くて、私にとっては大きな挑戦心が必要でした。

(昨日の本番前も、会場までの道のりはお腹が熱く感じるくらい緊張していました。テンパリすぎて、浴衣の着付けも不安になって、共演の山本香織さんに助けていただきました。)

結果として、高い敷居を頑張って跨いでみて良かったです。

昨日のnoteにも書いたのですが、終演後の宴で初めましてのお客様にお声がけをいただきました。それがとても嬉しくて。なんと言いますか、それは私の朗読が、そのお客様と私が直接目を見て会話する機会を生んだということに他ならなくて、こんなに幸せなことがあるのか、と思いました。作品が演者としての私とお客様の間の糸を結んでくれるということを、改めて知ったような気がします。

それから、これまでずっと私の出演作を観てくださっているお客様にも、たくさん嬉しい言葉をいただいて、特に読み方、と言いますか、そういう部分についても掬い取ってくださってありがたかったです。朗読Barに出ると決めて文章を書きながら、ずっと頭の片隅に朗読ってなんだろうということを考えていました。これを芝居にしてしまうのはもったいない。手に本を持って、本を読んでいる私がそこにいる、それをしっかりやりたい。そんなことを思っていて、試行錯誤、振り幅を考えたり。ちゃんと形に出来ていたかという、まだまだ余地がありますが、そういう、私の思いの巡りを感じ取っていただいたようで、とても嬉しかったです。

今回私は、能『黒塚/安達ヶ原』の筋立てをベースにしたお話を読みました。
この能の『黒塚/安達ヶ原』は元々、福島県二本松市に残る鬼の墓、黒塚にまつわる伝説に基づいたお話です。その黒塚の近くには、恋衣地蔵というものがあります。その恋衣地蔵は、岩手という女に殺された恋衣という女性を祀っているもので、恋衣を殺した岩手は実は、生き別れた恋衣の母でした。岩手は後から我が子を殺したことに気付いて、あまりのことに気が狂い鬼になってしまったという伝説があるそうです。
黒塚の鬼と恋衣の母、岩手は同じ土地にまつわる鬼婆伝説の登場人物で、岩手がその後に黒塚の鬼として退治されたのだという捉え方、そうではなく別の伝説であるという捉え方、色々あるようです。
能の『黒塚』では、鬼になる前の女の面は「深井」という面が使われます。「深井」は中年女性の面で夫や子供と死別したり、子供をなくして探す役に多く用いられる面です。
そうであるので、少なくとも能の『黒塚』ではこの我が子を手にかけてしまった岩手のイメージを引き継いでいることもあるのだろう、と私は思いました。(「近江女」という面をつけることもあるので、一概にそうとは言い切れません。能の謡の中にそのエピソードは一切出てこないので、あくまで要素の話になると思います。)

このへんのお話を、一つの文章に組み立てたのが、昨日読みました「負柴」というお話です。伝説の中では、鬼が住んでいるのは岩屋なのですが、あえて「小屋」としたのは、能の大道具の萩小屋の心許なさ(私の主観)を入れたからです。そんな感じで、あくまでも能をベースにした二次創作。「女が娘の声を聞いた」「女は寒さ暑さの感覚がない」「使いの者が帰ってこなかった」というあたりは私の想像の中から描いた創作です。
初めに想起したのは、「女は寒くないのではないか」というところでした。だって、背負っている薪がほんのちょっとなんですもの。能の小道具である負柴ですが、実際に後シテの般若が背負っている束はかなり小さく見えます(検索してみてほしい)。
何よりも、私がこの能『黒塚』に心惹かれるのはこの負柴なのです。鬼と恐れられるその人物は、本当に夜の山に入って薪を拾って帰ってきている。その健気さ。そのあと退治されることが不憫に感じられるほどのいじらしさ。量が少ない(というか、そもそもその場で拾いにいかなければならない)ということは、もしや、この人には必要のないものだったのでは、というのが私の想像の出発点でした。
それから、色々調べ直して恋衣地蔵にぶつかり、今回の形に組み上がっていった、という感じです。

いや、まあ、ここまで夢中で書きましたが、これはただの蛇足(そして、昨日の朗読を聞いていない人には全く意味のない話)ですね。

書いたものを読んでみて、お客様に思いが込められていたよって言ってもらえて、本当に良かったです。ありがたい。本当にありがたい機会でした。

朗読Barのスタイル、と言いますか、読むということを生で見せるという方法について、まだまだ興味があります。私なりに捉えて、方法を見つけていけたらいいなと思っています。また出たい。あと、他の人のも観たい。そして、また出たい。

またの機会をきっと作りたいと思います。その時はどうかまた観に来てくださいね。

それでは、今日はこのへんで。
要小飴でした。


いつも見守ってくださってありがとうございます! これからも表現活動、創作活動に勤しんでまいります。 要🍬 小飴