【4-0717】金魚鉢パフェを永遠に失う
しょーもない話なのだが。
夏になるといつも、大学の学館喫茶で要予約のメニューだった「金魚鉢パフェ」を思い出す。まさにあの縁が波打つ形の、いわゆる金魚鉢をコーンフレークやら、アイスやら、フルーツやら、ケーキやら、ウエハースやら、そんなもので満たした、夢のような、そして食べると地獄を見る、学館喫茶の名物メニューだ。今、Googleで「金魚鉢パフェ」を検索すると、サジェストに「岡山」と出るが、それを選択すると、正しく私が知っている岡山大学学館喫茶indentの金魚鉢パフェの画像が出てくる。
あれは、なんだろうね。何というか、超ベタベタな展開のコントみたいな代物だ。だいたい、サークルの仲間とかで挑戦して、最初は見た目のインパクトに否が応でもテンションが上がって、勢いよく食べ進めるが、結構早い段階で「甘い」とか「冷たい」とかそういうダメージを受け始め、最終的に「気持ち悪い」に落ち着くという、どう考えてもその結果はわかっていただろうという幕引きになる。なんというか、おばかさんになれるというのが、あのメニューの真の旨みのような気もする。あれを食べるのは楽しかったなぁと大学を卒業して数年経って思い出すようになった。
そして、最近では、私は金魚鉢パフェを永遠に失ったんだなぁという実感が湧いている。二十代の頃はただ単に、大学の所属じゃなくなったから、そこにいなくなったから、過去のものになってしまったという感覚でしかなかった。だが、ええ感じの大人になって、もうあの幕開けから幕引きを楽しめる感覚があるかがわからない。今も結構食べ放題とかは好きだし、甘いものは別腹みたいな仕組みは私の身体にも健在だ。だけれど、あの金魚鉢の丸いフォルムを見たときに今の私は結構心底日和るだろうと思う。現役大学生のときの私は、日和ったポーズはしたかもしれないけれど、本心はわくわくが止まらなかった。もう、その羽が生えてるくらいに浮き足立った境地には最早立てない、と思う。
だから、その時点で、私は金魚鉢パフェを永遠に失ったのだ。ふとそう思ったときには、軽薄な悲しみが心を覆った。
んー、なんともしょーもない話。
でも、私が失ったのは金魚鉢パフェであって、その「羽が生えてるくらいに浮き足立つ境地」というのは、実は失ってはいないと思う。時と場合によって、この背中には羽が生えるのだ。
大人になると羽が生えることが少なくなるけれど、それは自分の人生において本当に価値のあることをふるいにかけられるようになったから、なんじゃないかと思う。金魚鉢パフェを前に生やしていた羽を懐かしく、愛おしく思うことはあるけれど、今私が眠らせている羽はもっとたくさんの喜びを知っている。そう思うと、この喪失は、成長と認識していいのかもしれない、なんてことをぼんやりと考えた。
いつも見守ってくださってありがとうございます! これからも表現活動、創作活動に勤しんでまいります。 要🍬 小飴