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【4-0323】コトリ会議を観た話②

【このnoteを開いてくださった貴方へ】

こんばんは、要小飴と申します。


関西にある遊気舎という劇団の末席に身を置き、演劇に勤しんでいる者です。平日昼間は保育園の先生をしています。

このnoteは、そんな私が日々の所感を記録しながら、自分の思考を再確認したり、自分なりの表現を探したりする、そんなものにしたいと思っています。

私がコトリ会議に入って初めて参加した公演は梅田での24時間ぶっとおし公演だったのだけれど、今のコトリ会議は1ヶ月ぶっとおし公演をやっている。コトリ会議はコトリ会議然とした道のりを歩んでいるなぁと思う。劇団員がものすごく実感をもって、けれどもなんだか嬉しそうに「大変ですよ」と言っていて、素敵だった。他の劇団員は晴れやかな笑顔で「まるでツアーみたいだよ」と言っていて、眩しかった。この人達は芝居を食って生きているんだろうな。

今日の11時30分と19時30分の公演を観て、とりあえず本編5本をコンプリートした。

疎遠になった兄弟の、兄の死に際した色々な話。超個人的なことだが、私は先月末に祖母が亡くなって、このお話に漂う空気感に親近感があった。

私には兄弟がないので、どんなに疎遠でも、疎遠になれる関係性というのを、羨ましく思う。うちの母は三姉弟なので、先日の葬儀の際にはそういう姉弟の独特の連帯感などを感じたりもしたが、一人っ子の私には絶対に持ち得ない連帯感であって、こういうものなのか、と新鮮に思った。

それに近い、知らない感覚と知ってる感覚の綯い交ぜになった作品群だった。第夜話の優香里のなんだかわからないという訴えがよくわかる。第空話の和くんの「納得」という言葉も。第形話の沈黙は雄弁だったし、第蓋話の最後の願いは本当に切実だった。

そして、第糸話。これもコトリ会議。超ド級。
こういう遊び方を知っているのがコトリ会議の良いところだと思う。こういうものを形に出来るチカラがあるというのは、劇団としての強みだね。お客さんがきゃっきゃと笑うものほど、手をかけて作っている。ものづくりは往々にしてそうだけれど。

3月もあと一週間だけど、東京組は今日初日だったわけで、熟成と新鮮の両方を持つ座組みになるので、これからの本番も楽しそうだなと思う。

千秋楽まで無事に完走出来ますように。





いつも見守ってくださってありがとうございます! これからも表現活動、創作活動に勤しんでまいります。 要🍬 小飴