【3-0702】 後悔していること 【ふ純喫茶役者ブログ】

小飴です。

早くも回ってきました、役者ブログ。『わたしの後悔』かぁ……。

わりと、後悔しがちな人間だなと思います。軽率に後悔するタイプ。後悔するのは嫌ですけれど、そこまで避けようとはしてない、気もする。だからか、あんまり覚えていないんです。自分が後悔したことを。

うーん。

今思いつくことと言えば、学生時代の友達と音信不通になってしまったこと、とかでしょうか。小学校から中学校へ上がるタイミングで私は引っ越しで学区が変わり、6年間(幼稚園時代を含めると8年間)親友だった子とも、あっさりと音信不通になってしまいました。それ以降、小中高、いや、大学に至るまで、出来た友達とはだいたい音信不通になってしまっています。

私は本当に友達がいのない人間で、目の前の交友関係で手一杯になってしまうので、進学して離ればなれになると、手紙を書くだとか、電話をするだとか、わざわざ約束をして会うだとか、そういうことが出来ないのです。今はSNSがあるので、たまに昔の友達に掘り起こされて繋がることもあるのですけど、だからと言って何かがあるわけでもなく。

これは友達だけに限った話ではなく、家族とも、結構音信不通になりがちです。メールが来て返すことはあっても(返し忘れることもしばしば)、私からメールをしたり、電話をしたりすることはめったにありません。

音信不通になった人たちのことが嫌いになったとか、そういうことは全くなくて、連絡が来たり、会ったりすれば嬉しく思うのです。だからこそ、「私なんでこんな音信不通になってしまうんやろ」とも思うのですが、私の中ではその人のことを思い出の中に置いてきてしまっているのだろうと思います。物理的な距離が開くと、好きなまま、仲良しのまま、置いてきてしまうのです。嫌いになったわけではないので、悪気はないのですが、でも家族までも過去の人にしてしまうのは、どうなんだ、よくないんじゃないか。真面目な私は多少そんなことを逡巡するわけですが、これは性分のようで変えられません。何しろ悪気がないもので、反省するようなことではないのです。

まあ、それによって失っていくものもあるのですが、そういう手の届かなくなったものについては悔いるしかなくて、これがいわゆる「後悔」というやつかなと思います。

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どんどん後悔しながら、後悔を後ろに受け流しながら、前を向いて生きていくことが肝要だと思う、それが、私の生きる道というやつです。

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それでは、今日はこのへんで!

また次々週このブログで。そして、その先は会場のシアターカフェNyanでお会いしましょうね!

いつも見守ってくださってありがとうございます! これからも表現活動、創作活動に勤しんでまいります。 要🍬 小飴