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【1026】伝えたいということ

こんばんは、要小飴と申します。

昨晩は遊気舎『おじいちゃんとけものたち』の稽古でした。名古屋から参加の中川さんもいらっしゃって、また一つ本番へのイメージが広がりました。

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(奇跡的なツーショット)

今回の作品に関わりながら、「伝えたい」とはどういうことなのかを改めて考えています。「伝えたい」というのはどういう欲求なのか。そう思わせるのは、何なのか。

私が毎日更新しているnoteも、まあ、言うなれば、私の日常の視点を誰かに伝えたいという気持ちがあるわけで、あわよくば、それで私のことを少しだけ好きになってもらえたら嬉しいと思っています。

でも、そういう私的なこと以外にも、人は伝えたい何かというものを少なからず持っているように思います。

伝えた先に何を求めているのか。何をしたいがために伝えようとしているのか、ということは意識しているかはさておき、あるはずなのです。

好きになってほしいという気持ちの他に動機を探すとすれば、それは何になるのでしょう。

人間は生まれてすぐに、自分が泣くと身近な人が自分の欲求を満たすために動いてくれるということを知ります。何か表現をすれば周りの状況が変化するということを、衣食住の根本的なところを通して察するのです。それは周りの庇護者に対する信頼があってこそ、ではありますが、そういう前提をもとにして、人は何かを伝えようとするのか。

「伝える」ということは、「変えようとする」ということなのか。

お芝居に出るということも、もちろん、何かを伝えるということです。そんな人間が「伝えたいってどんな気持ち?」って自分に問うなんて、おかしいことなのかもしれません。でも、一つ一つ人間の行動をわかるようになるというのは、今の私にとって必要なことだと思っています。使い勝手の良い言葉で思考を止めないで。本番まで、あるいは本番のさらに先にも考え続ける問いになるかもしれません。考え続けようと思います。

それでは、今日はこのへんで。

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(ネックウォーマーをすると完全におじさん)

また明日!

要小飴🍬


いつも見守ってくださってありがとうございます! これからも表現活動、創作活動に勤しんでまいります。 要🍬 小飴