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日に名を付けるということ

おはようございます、要小飴と申します。

さて、色々と予告をしてまいりましたが、跳び上がるには膝を曲げて踏み切る動作が必要でして、今しばらくお待ちください。

今日はタイトルにしました、「日に名を付けること」について。

いや、何のことかと思われると思うのですが、昨日4月29日は「昭和の日」という祝日でした。もはや、祝日だろうが、平日だろうが関係のない毎日を送ってしまっている今の私たち。というのは一先ず置いておいて、この4月29日、私が子供の頃は「みどりの日」でした。

いつのまに変わったんだろうと思って調べてみると、「昭和の日」になったのは、2007年に祝日法が改正されたとき。もう、13年も前なんですね。私は大学に通っているときか。もうあんまりカレンダーの〇〇の日というのを気にしなくなった時期です。何の日かより講義がある日かどうかのほうが大事だった時期。

ということは、少なくとも今小学校に通っている子供たちにとって、この日は生まれたときから「昭和の日」だということです。私の最年少のお友達にも、この日は「昭和の日」でしかないわけです。そして、「みどりの日」は当たり前に5月4日なのです。

いや、でも、「昭和の日」って、何なんだろう。

いやいや、昭和天皇のお誕生日だったのは知っておるんです。ギリギリ昭和生まれの私は昭和天皇がお隠れになってから制定された「みどりの日」に慣れ親しんでいて、「昭和の日」には違和感を感じるっていうのもなんだか皮肉なことなんですけど。ちなみに昭和天皇が植物や自然を愛していたことから「みどりの日」と名付けられたそうです。

ま、これはただ単に慣れないってだけの違和感なので、それはそれで置いておいて。

「みどりの日」よ、この日は新緑の季節ならどの日でもいいのかい。

いや、これもとりあえずは置いておいて。


私が今一番思っていることは、そもそも、〇〇の日というものの、名前が変わるのではなく日付が変わるって、

なんか、

すごい、

発明だなと思って。


あんまり経験したことがないと思うんですよ。何か記念日として決めた日の日付を移すって。「あなたと私が結婚した日は〇年前のこの日ですよ」ってことじゃないですか、結婚記念日って。それが「前はこの日だったけれど、今年から結婚記念日はこの日に変えます!」って思いつかないと思うんですよ。意味がよくわからないと言いますか。

と、ここまで思って、いや、待てよ、と思い直したのです。一回離婚して、再び同じ相手と結婚したらその二人にとっての結婚記念日は日付が移るだろう、と。日付を移すことそれ自体に二人の歴史というか、関係性のすべてが表されるということもある。

当時の国民感情とか、制定した人たちの本当の事情はわからないけれど、今まで「天皇誕生日」として大事にしてきた日に別の名をつけなければならない、となったときに「みどりの日」と名付けて、約20年間、付けられたこの名前がその実を作り出して、自然に親しみ感謝する日という意味合いを持って。さて、この日に別の名前が付けられるとなった時に、この「みどりの日」という名をなくしてしまうのではなくて、新たな日付に(連休を作り出すという多くの人の希望も背負わせて)付け直すって、人の営みの歴史を大事にとっておいてる感じがして、いいなぁって思ったんです。

もちろん、一回めの結婚記念日も大事なんですよ。甘いのか酸っぱいのか苦いのか、わからないけど思い出ですし、その日がなければ今日もないわけですから。でも、これからこの日をそれと決めましょうと改めたときは、そこには今と未来に対する決意がこもっています。

結婚記念日がなんだか一番わかりやすくて例に挙げてしまいましたが、(それは後輩の結婚式の写真の年賀状が目に入ったからなんです。)こんな結婚みたいな大きな意思決定じゃなくても、私たちが日々生きていく上で何かの日にちに名前を付けるということは、すべて今と未来に対しての意思表示になるのかもしれないなぁと思います。

未来について本当のところは想像が及ばない“今”の私たちでも、無意識に未来のことを考えています。

昨日の「劇作オンライン.1」も、.1とナンバリングするということは、.2や.3がある、と少なくとも今私たちは思っているということです。まだしばらくはオンラインでやることになるだろうという予想もありますし、それでもこのやり方の取り組みの名前を「劇作イベント」としてしまわないのは、いつかまた対面でコミュニケーションを取りながら劇作を話し合うことが出来るという望みを持っているからです。……と私は思っています。

話がとっ散らかってしまいましたけれど、昨日「昭和の日」に「みどりの日」のことを思って、私がつらつらと考えたことを書かせていただきました。トップの写真はいつかの東大駒場キャンパスの朝の木々。みどりの写真で一番きれいだったから。

それでは今日はこのへんで。

要小飴

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(うっすらとした緑の中の私。去年の写真)

いつも見守ってくださってありがとうございます! これからも表現活動、創作活動に勤しんでまいります。 要🍬 小飴