見出し画像

【4-0219】声を柱にしている

【このnoteを開いてくださった貴方へ】

こんばんは、要小飴と申します。


関西にある遊気舎という劇団の末席に身を置き、演劇に勤しんでいる者です。平日昼間は保育園の先生をしています。

このnoteは、そんな私が日々の所感を記録しながら、自分の思考を再確認したり、自分なりの表現を探したりする、そんなものにしたいと思っています。

咳こみによる声枯れがいまだ続いている。以前からわかっていたような気もするが、今より鮮烈に感じているのは、私は自分の声を柱に在り方を決めているらしい、ということだ。

ガサガサなそれを聞いていると、まるで自分の声じゃないみたいだ。その声を使って誰かとコミュニケーションをとろうとすると、何だかすごく投げやりになっている気がする。もちろん、身体の調子がよくないというのも理由の一つなのだと思うのだけれど、普段人と話すときに使っている音が出ないことによって、内面も何か違った状態にある気がする。

優しい気持ちだから優しく声を掛けるのか、優しく声を掛けるから優しい気持ちになるのか。これはどちらも成り立つことなのだと思う。私の声に最も影響を受けるのは私自身だ。優しい声色が出ないと気持ちに余裕がなくなる感じがする。

だから、早く治さなければならないなぁと思う夜。薬を飲んでバシッと寝る。

いつも見守ってくださってありがとうございます! これからも表現活動、創作活動に勤しんでまいります。 要🍬 小飴