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心の栄養を何から摂るかということ。

おはようございます、要小飴と申します。

皆さん、元気ですか。私はちょっとだけしょんぼりしています。

でも、昨日書いた通り、嬉しいこと楽しいこと以外はしっかり心構えをして書こうと思っているので、これは心構えの上で書いています。

少しばかりの緊張と大きな期待をもって待っていた今日開催の劇作イベントが中止になりました。否、中止しました。

アシスタント担当の私を野村さんはいつの頃からか仲間と呼んでくださって、何か大きなお知らせをするときは末尾の署名は連名にしてくれていて、だから、私はこの企画の主催者の一人なわけで。

中止しました。今は開催することが出来ません。募集告知を出してから、とても早い段階で、それでももはや普通に生活することが困難になっていたあの状況で、参加申し込みしてくださっていた方々がいらして。その方々と少しの間だけでも楽しい気持ちを育みたかったのですが、それも叶わぬ状況になりました。

もちろん、病気は恐ろしいのです。私の母や祖母は田舎に住んでいて、まだ大阪のこの状況とは違うようですが、それでも心配です。それに、小さな子供も罹患したというニュースを目にすれば、これまで受け持ってきた子供たちのことを思って心が痛いです。今まで知り合った人たちが元気でいるのかどうか、気になりつつも、余計な気を遣わせるかもしれないと連絡することも迷うようなそんな日々。

そして、明日は我が身、それも恐ろしい。

だけど、その上で、俯いてしてしまう心をどうしたらいいのでしょう。

私は思うんです。自分じゃない別の個体が健やかなことを確認できることで元気になれる生物って人間だけなんじゃないだろうかって。

自分がめちゃくちゃ健康でも、家族が病気のときは何とはなしに元気とは言い難い状態になりますよね。自分にまったく関係ないことでも仲のいい友人が讃えられていたら、心が躍って息が吸い込みやすくなるようなそんなことってありませんか。自分以外の誰かの状態が自分にもたらす影響ってすごくあると思うし、逆にそれを使えば人はとても幸せになることも出来そう。

心と身体は切り離せないとよく言いますけど、身体が健康なのと心が元気なのはまったく別の状態でその二つの状態が重なり合って、私たちの体調というのは成り立っているんだと思うのです。

だから、心の元気のために、私は他の誰かと時間や言葉を分かち合いたいといつも思っています。手洗いうがいをしっかりして、ウイルスに遭わないような生活をして身体を守ったら、それと同時に他の誰かとの関わりで、心の栄養を補給したい。それは例えば、ご家族と同居されてる方はおうちの中で出来ることでしょうし、私は一人暮らしなのでもっぱらSNSとかになってしまいますが、何か少しでも関わり合いを。誰かにこれを話そう、と思うだけで目の前で起こっていることが色鮮やかに見えてくることもあります。

そうやって、心の元気も守りましょう。いつかはきっとまた直接会っておしゃべりが出来るはず。だって、本来人と会うということは嬉しいことのはずなんですから。ね。

要小飴

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いつも見守ってくださってありがとうございます! これからも表現活動、創作活動に勤しんでまいります。 要🍬 小飴