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【0827】傘さす人々

こんばんは、要小飴と申します。

今朝、Twitterを眺めていて、「子供が学校で日傘を禁止された」というトピックを目にしました。私は、今年から日傘ユーザーになりまして、酷暑+マスクのこの夏に対して、日傘がどんなに有用かということを文字通り肌で感じている立場であります。なので、基本的には、性別問わずみんな日傘を使えばいいなぁと思っていますし、特に影響を受けやすいであろう子供たちにも、なるべく安全に使える環境、条件を整えた上で、使わせてあげてほしいと思っています。

Twitterをはじめとしたネット上にはこの問題に対して様々な意見が出ておりましたが、ひとつ、私がそれはちょっと違和感があるなぁと思ったことがあったので、ここに書き残しておこうと思います。

それは、日傘をさすことによる子供の身にせまる危険に関して、「雨のときには傘をさしている」ということを根拠として、さほど問題はないとする考え方です。それは違うと私は思います。雨の日に傘をさして登下校をする子供たちは、晴れた日に傘を持たずに登下校しているときよりも、明らかに危険度が上がっています。

まず、傘を持つことで本人の視界が狭くなり、さらに他の人からも姿が見えにくくなっています。そして、長さのある物体を立てた状態で持っていなければならず、両手が塞がった上に強風が吹けば身体を持っていかれることもある、そのような構造のものを手に持っています。子供たちはそれだけでなくランドセルやその他の荷物を持った上で、家と学校の間の街角を歩いているのです。それは安全な状態と果たして言えるでしょうか。

そう、現にそうしているからと言って、決して安全な状態ではないのです。子供たちが雨の日に、無事に学校に行って、無事に家に帰ってくるのは、偶然、状況がうまくいったために、幸運にも無事なのです。

例えば一週間に二日雨が降ったとして、これまでは二日間だったこのリスクのある通学路が、日傘をさせば一週間フルでそのリスクがつきまとうわけです。

とはいえ、先に述べたように、私は日傘の使用に反対ではありません。むしろ賛成。殺人級の暑さってもはや比喩じゃないですものね。本当は登下校の時間帯をずらすとか、最高気温が何度のときには学校閉鎖するとか、そういう対策も必要だと思いますけれど。

むしろ、子供が無事に登下校するということは、雨だとか、傘をさしてるだとか、それがリスクを上乗せしているというだけで、何もなくても奇跡だと思うのです。彼らは身体も小さく、身を守る手段をあまり多く持たず、色んなことに興味があるようで、ないようで、ある。その興味関心の移ろいの中で自分でセーフティを確保出来ず、危うい存在なのです。

だからね、もっとね、大人が守っていかなければならないと思うのです。

子供たちが日傘をさしていようがいまいが、大人がみんな、登下校中の彼らの様子を見守って、危険のないように気を配ることをすることが必要なのです。そういう町全体の雰囲気というものが、そもそも子供たちが健やかに育つことには必要、そう思うのです。

子供たち、そして、子供も含めた私たち人間すべて、これで問題なし!という状態はなくて、問題をうまく監視して、細かく状態に対応して、ごまかしごまかし、セーフの状態を保持しているのだと思います。そのセーフの状態を保持する役目を誰かに放り投げたいときもあるでしょうけれど、町に繰り出してきた子供たちに対しては、大人みんなでその役目を果たしていきたいなと思っております。

それでは、今日はこのへんで。

【今日の自撮り】眠い

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また明日!

要小飴🍬



いつも見守ってくださってありがとうございます! これからも表現活動、創作活動に勤しんでまいります。 要🍬 小飴