見出し画像

【4-0425】主軸の話

【このnoteを開いてくださった貴方へ】

おはようございます、要小飴と申します。


関西にある遊気舎という劇団の末席に身を置き、演劇に勤しんでいる者です。平日昼間は保育園の先生をしています。

このnoteは、そんな私が日々の所感を記録しながら、自分の思考を再確認したり、自分なりの表現を探したりする、そんなものにしたいと思っています。

正直な話を書く。誰かが気を悪くしたらごめんなさい。

ここ一ヶ月くらい、演劇から離れていた、頭が。

子どもというものは目を離すと死ぬもので、新年度の混乱の中で、アンコントロールな状況で子どもたちが死なないかということが自分の肩に重く載っていた。死なないか、というのは、生命から心まで、色んな部分でのことだが。それから、これは園長先生たちからは「焦らなくていい」と重々言われていたけれど、初めて主担任になったことへの気張りもあった。経験年数が長いことが自分へのプレッシャーになっている。他の先生からどう見えるか、ということもあるが、何より自分自身が、もっとどうにかならないかと自分を叱るのだ。

そんな状態なもので頭のキャパが足りなくなっていた。劇団のことも、自分の表現に対する意欲も、置きどころがない。消えることはないけれど、どこかを徘徊して帰ってきていない、みたいな状態だった。

でも、それがしばらく続き、新年度の混乱が少しばかり落ち着いた頃には、今度は私が病気になりそうになった。というか、なっているかもしれない。相変わらず、声が出にくい。色んなことを加味して、やっぱり演劇を置き去りにしているからなのではないか、と思っている。両手に持っていたはずのものの片方を落としてしまったのではないか。現実的に、片方を落とすことでやっと片方が持てるのではないか、そんなことすら思った。それは私が一番思いたくない結論だった。


それで、結局、自分の人生で一番大事なの軸は何か、というのを考えたのだけれど、私の軸は実感をもって他者に影響を与えるということだと思い至った。それは、クラスの子どもたちを笑顔にすることもそうだし、誰かと充分なコミュニケーションをとることもそう。noteを書いて読んでもらうことも、自身が舞台に立つことも。それぞれを片手ずつに持っているのではなくて、腹に一本、軸を持っているのだと思うと、気が楽になった。

そう思えたら、現実的に、頭の中に演劇の置きどころが出来た。徘徊散歩から帰ってきたようだ。実際、お知らせなどを出せるまでにはまだまだ時間がかかると思うが、自分の中で「店休日」の札から「準備中」の札に掛け替わったような感覚だ。

ここからまた、軸を大事に生きていこうと思う。とりあえず、病院に行って喉を治したい。



いつも見守ってくださってありがとうございます! これからも表現活動、創作活動に勤しんでまいります。 要🍬 小飴