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【4-0423】流れる景色

【このnoteを開いてくださった貴方へ】

おはようございます、要小飴と申します。


関西にある遊気舎という劇団の末席に身を置き、演劇に勤しんでいる者です。平日昼間は保育園の先生をしています。

このnoteは、そんな私が日々の所感を記録しながら、自分の思考を再確認したり、自分なりの表現を探したりする、そんなものにしたいと思っています。

これまでは9時5時の固定の時間で働いていたので、いつも同じ電車に乗っていた。「この時間はこれくらいの混み具合、この車両なら二駅めくらいに座れる」みたいなことが把握できていて、基本的に同じ番号に並んだ。

仕事がシフト制になって、色んな時間帯に通勤電車に乗るようになった。そうすると、考えてみれば当たり前のことだが、駅や電車の混み具合がそれぞれの時間帯、いや、一本早めたり、遅らせたりするだけでも全然違うことがわかる。以前に私が乗っていた時間あたりから30分間くらいがよく混んでいて、それより前、それより後はほどほどだ。早い当番、遅い当番は少し大変だけど、電車の快適度は上がる。

なんだか、そんなもんだよなと改めて思う。つい自分が見ている景色以外の景色をイメージすることをサボってしまうけれども、自分が見ているものが世界の全てではないということを忘れちゃダメだなと思う。

全ての物事に、人に、自分が知らない側面がある。どんなに見知ったものでも、結局それは接触面に限ったことだ。朝泣いている子どもが昼泣いていないのと同じ。見ていない間にも、平等に時は流れていく。

今の私の気持ちとしては、だから、それをイメージすることが大事、と言いたいわけじゃなくて、全部知らなくて当然ということに何かほっとしているところがある。放っておいても景色は流れていく。そのことに安心感を覚えている。自分の流れる景色の一部分だ。そう思うといくらか気が楽だ。


いつも見守ってくださってありがとうございます! これからも表現活動、創作活動に勤しんでまいります。 要🍬 小飴