【4-0628】思いを伝える
私はnoteを書くのが好きだと思う。これまでずっと基本的にはその日、その時に思い至ったことをツラツラと書いてきた。あおさの味噌汁が好きだと書いて、「僕も好きなんです」とコメントをもらったのは結構嬉しかった。本当に思わぬ人に読んでもらっていて赤面することも多いが、それでもやっぱりnoteに自分というものを書きつけることは好きだと思う。
4年も続ければ好きにもなるか、とも思うのだけれど、結局のところ私はコミュニケーションが苦手なのかもしれない、と最近思う。noteはどんなにその時の気分や気性に左右されながら書いたとしても、手元で編集して完結させてから送り出している。性質としては、即興ではなくほどほどに稽古演出したものと言えるだろう。一方的にそういう作品(とは言えない代物だが)をそっと置いておいて、あとは見てくれた人の判断に任すというような、そんなスタンスが根っこにあるのかもしれない。
というのも、私はどうやら、対誰かという場面で、そのとき自分が思っていることを伝えることが出来ていないようなのだ。私からすると、どういう気持ちかは言っているつもりだったのだけれど、それではダメらしい。どうしてほしいのか、要求をしなければならなかったようだ。
でもさ、要求をするって結構難しいと思うんだ。相手方の事情とか私にはわからないからさ。「私はこういう状況です」っていうところまでしか口に出さなかったりするんだよなぁ。それすら結構な労力がいるし。本当に助けてほしいときに、自分はこれこれこういう状況だから、ここの部分をこうしてほしい、なんて言う余裕ないんだよなぁ。
でも、そうじゃないとわからないんだって、私がどう考えているのか。まあ、他の人に、私に対してそんなに感度のいいアンテナを張っていてほしいと言うのも、よく考えたらわがままな言い分か。
芝居は動機から、とかよく言うけれど、日常生活でも動機とか目的とか、しっかり提示するべきなんだな。「察して」になっていたことに少し反省しながら、もっと思いを伝えるということについて考えなければならないなと思う今日だった。
いつも見守ってくださってありがとうございます! これからも表現活動、創作活動に勤しんでまいります。 要🍬 小飴