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【4-0627】あそびとしごと

【このnoteを開いてくださった貴方へ】

おはようございます、要小飴と申します。

関西にある遊気舎という劇団の末席に身を置き、演劇に勤しんでいる者です。平日昼間は保育園の先生をしています。

このnoteは、そんな私が日々の所感を記録しながら、自分の思考を再確認したり、自分なりの表現を探したりする、そんなものにしたいと思っています。

今年は悩みがちだ。みんなこれを新卒の時代にやるのか。そりゃ、いぶし銀みたいになっていくわけだ。

という、妙な感慨を書き残しつつ、今日も自分についての気付きをまとめる。

私は今まで、ありとあらゆることの中で優先度の高いことを「仕事」としてやるほうが「やりやすい」と思っていた。結局やらなければならないのなら、「仕事」という設定で自分を奮い立たせたほうが能率が上がる気がしていた。

実際、これまでの人生はそれでどうにかなってきたけれど、最近限界を迎えてしまっているなと思う。この方法は、「仕事」を設定すると自動的に「仕事以外」を生んでしまう。そうすると、「仕事以外」が、まあ目も当てられないくらいぞんざいになってしまう。そうなると、ぞんざいにしてはいけないところは全て「仕事」に格上げしなければならなくなるのだ。当然キャパ不足になる。

今朝、急に「遊び」が足りないという気持ちが湧き起こった。理由は不明。多分、ただの気分の上がり下がりの結果だと思う。「遊び」が足りない。でも、もうこれ以上何かを増やすことは、今の私の生命上には過積載だろう。そこまで考えて初めて、私は私の中の「全て仕事」という捉え方に気付いたし、その問題点に思い至った。

ならば、全て「遊び」だと思うのはどうだろうか、というのが今日の結論だった。基本的には好きなことしかしていない生活だ。だから、私の一日の生活は全て「遊び」にすることが出来るのだ。

責任“感”だけ持っていても責任は負えない。責任を負うには行動するしかないのだから、行動が出来る状態にしておかなければならない、自分自身を。私の内側がどうであっても、他人から見てきちっと仕事が出来ていれば、人からの信用としては、それでいいはずだ。

私一人分の一日、私一人分の一生。過剰に背負わない。進んで工夫できるような「遊び」の感覚を持ちながら過ごしたい。

いつも見守ってくださってありがとうございます! これからも表現活動、創作活動に勤しんでまいります。 要🍬 小飴