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【4-0318】二つの名前を持つこと

【このnoteを開いてくださった貴方へ】

こんばんは、要小飴と申します。


関西にある遊気舎という劇団の末席に身を置き、演劇に勤しんでいる者です。平日昼間は保育園の先生をしています。

このnoteは、そんな私が日々の所感を記録しながら、自分の思考を再確認したり、自分なりの表現を探したりする、そんなものにしたいと思っています。

昨日は一日の7割を作業にあてた感じがしたので、今日は帰宅後は何も(作業は)しないと決めて、久しぶりに自分のためだけにご飯を炊いた。自炊は最近ちょっとサボり気味なのだ。プロテインは飲んでいるけれど。白い炊き立てのご飯は、生命の象徴みたいな気がして、今の私に必要なものだった。

数日前にも書いたが、

続く毎日のバランスをとることを試している。この続く毎日を乗りこなしていくことが、つまりは私が二つの名前を持ち続けることに繋がるから。

私は「おばあちゃんになったら」の夢は色々持っていたりするのだけれど、例えば↓

この最後の夢は、遺影を前に二つの名前を呼んでもらうことだ。まあ、葬式をしてくれる人がいると思い込んでいるところが、呑気なところではあるが、もし、そういう機会があったら、私を本名で呼ぶ人と芸名の要小飴で呼ぶ人とどちらもいたらいいなと思っている。

そのためにも、四月から始まる新しい生活に向けて、少しずつでも準備をして、どんなときにも私であるための私づくりをしなければならない。これまでの生活はものすごくオンオフの、というかバージョンの切り替えをするのに適した条件での生活だった。もちろん、一人の人間の生活なので、別人になることはなく、それぞれの側面がお互いに影響を与え合っていた。けれども、時間の面においては「ここから」「ここまで」の踏ん切りが良くも悪くも分かりやすくつけられていた。これからは本当の意味で本名私と要小飴のマーブリングが始まる。そのためにも、気力体力を削りすぎないことに注意をむけている。

明日もまた元気に「おはよう」が言えたら、ひとまずこの作戦は成功だ。どうだろう、ハードルの低さはちょうど良さそうだ。




いつも見守ってくださってありがとうございます! これからも表現活動、創作活動に勤しんでまいります。 要🍬 小飴