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【0626】一方向からでなく

こんばんは、要小飴と申します。

つい先日の話です。私は仕事を終え、稽古場へ向かうために電車に乗っていました。同じ車両に、2、3歳の男の子とお母さんも乗っていました。

その男の子は電車が好きなようで、駅で止まりドアが開くと、車掌さんの真似をしてアナウンスを繰り返し、ドアの外を何度も指差し確認していました。ドアが閉まり電車が動き出すと、次は車両間のドアを開けて、連結部の空間をしげしげと見ていました。お母さんは、「触らないで」「お母さんダメって言ったよ」とすぐ近くの席から声をかけていましたが、男の子は聞く耳を持たず、車両間のドアを何度も開け閉めしていました。私は不審者にならない程度に、ちらちらとそちらを見ていましたが、次の瞬間、思わず声を出しました。

「あ、手挟む……!」

それとほぼ同時に男の子の泣き声が。車両間のドアは大人でも開けるのに苦労することもあるくらい重たいですから、子供の力で開け閉めするには、両手を突っ張る必要があったのです。案の定、彼の左手は戸袋の方に引き込まれて、どうやら小指を挟んだようでした。

お母さんは、私に「すみません」と頭を下げてくださって、男の子を膝に抱いて、「痛かったね。でも、これで分かったでしょう。お母さんがダメって言うことは、やったら危ないからダメって言うんだよ。」と優しく諭していました。しばらくは大きな声で泣いていた男の子も、お母さんがゆっくり向き合って、よしよしを繰り返していると段々と落ち着きを取り戻しました。私が降りるときには、お母さんが「ほら、あのお姉さん降りるって。ありがとうって。バイバイして」と声をかけてくださって、手を振り合ってさよならしました。

これが、私たちには出来ないことだなぁと思うのです。保育士は基本的に朝お預かりしたお子さんは、お預かりしたままお返しするのが仕事です。つまり、ケガをさせずに、事故は未然に防いでいかなければならない。正直に言って、ケガを全くさせないというのは、年齢が上がって動きが活発になってくると難しいのですが、それでも注意を促したり、衝突などは未然に防ぎたいところです。そういう点からも、もし私があの男の子の保育中であれば、横について、つまり戸袋の方に立って左手が戸袋に引き込まれるのを防ぎます。手が反対であっても、やはり戸に手を挟まないようにそちら側について、何度か開け閉めしたら、他の場所に移動するなり、別のものに興味が移るように誘導すると思います。保育中に彼が手を挟めば、それは私の不注意ということです。

しかし、これが家族であれば、子供の成長として、興味のあるものには積極的に触れて、試しに痛い思いをしてみて、危険なことを覚えていくという過程は、とても大切だとも思うのです。さすがにケガの程度は考えなければいけませんが、痛みを訴える彼を受け止めて諭すところまで含めて見守るという、それは子育ての中で大切な立ち位置だと思います。保育士もそれに近しい距離感まで迫ることは出来ますが、やはりケガはご法度であると私は考えます。(これは諸説あるかも)

だから、保育士の方向からと家族の方向からと、いろんな方向から見守られながら大きくなってくれたらいいなぁと思うのです。つい忘れがちになりますけど、まだ生まれて数年しか経っていない命です。日常に潜む危険はたくさん。家族の目が届かない時間はお友達と一緒に保育士に守られて、家族との時間は家族に見守られ、町や社会に徐々に馴染んでいけたらいいですよね。

うん、それが保育士という仕事の一つの役割であると思います。子供たちがあるとき果敢に挑戦するために、それ以外のときの安全を確保する存在。それが子供たちの幸せにつながることを心から願っています。

それでは、今日はこのへんで。

また明日!

要小飴🍬



いつも見守ってくださってありがとうございます! これからも表現活動、創作活動に勤しんでまいります。 要🍬 小飴