【2-0812】身の程は知らず

以前に、

こんなことを書いた。

でも、よくよく考えると、私はとても頻繁に、知らないところへ飛び込む人生を送っている。例えば、お昼の仕事の保育の仕事。これも、私は大学は人文学科で、保育のほの字も知らない状態から、国家試験を受けて保育士の資格をとり、実習なしで現場に飛び込んだ。証書があるだけのただの成人女性だった私が曲がりなりにも保育士として働けているのは、最初に勤めた園の先生方のおかげだ。私は本当に運がいい。

運の良さは演劇についても同じで、大阪で最初に所属した劇団のコトリ会議も、次に現在所属している遊気舎にも、飛び込むときは、何も知らずにだった。どちらも公演を観たこともないくせに、劇団員募集や出演者募集にピンときて、飛び込んだのだ。運良く、コトリ会議の人たちはいい人だったし、作品も面白かった。遊気舎も、そりゃあ名前は知っていたけれど、公演は観たことがなくて、でも、幸運なことにオーディションに合格して今現在までの縁を結んでいる。

語弊があるかもしれないけれど、どんなことも、その時点では知らなくて良かったのかもしれない、と思う。

コトリ会議の作品を観ていたら、大阪に出てきてすぐの当時の私は、そこに参加したいという気持ちを持てなかったかもしれない。でも、その気持ちを持てなかったら、私は要小飴にはなっていなかった。遊気舎の公演を一つでも観ていたら、未だに遠いところにある劇団でしかなかったかもしれない。きっとどちらの場合も物怖じしただろうと思う。どちらも私にとって、とても魅力的な存在だから。

だから、今の私があるのは、当時の私が身の程を知らない、自由人だったから。でも、その身の程を知るなんてことはとても容易なのかもしれないのに、そうではなかったというのは、もう、もはや巡り合わせとしか言いようがない、と思う。

身の程なんて、今も知らずにいる。それは永遠に私には知れないことのようにも思う。

私は、これからもピンときたら飛び込んでいくだろう。意外とこの人生が気に入っているから。

いつも見守ってくださってありがとうございます! これからも表現活動、創作活動に勤しんでまいります。 要🍬 小飴