見出し画像

同潤会アパートのこと・1

昔、同潤会アパートというものがありました。
もうこの地上からそのすべてが姿を消してしまったので、興味を持って調べない限りはほぼ触れることのかなわない建物たちです。
日本の集合住宅史において重要な位置を占める、関東大震災復興事業の一環として設立された「同潤会」により設計・供給された鉄筋コンクリート造のアパートメントハウスをそう通称します。

僕の街歩きは「機動警察パトレイバー THE MOVIE」で題材とされていた風景を自分の目で見て回ることから始まりました。同潤会アパートは劇中に点景として登場するのですが、そのカットが極めて印象的であったため、ぜひその風景を自分でも見てみたい、と思いました。

それがこれ、同潤会アパート関連を追っていると必ず目にする「猿江アパートの階段室」です。
当時の我が家で同潤会の話題を出したとき「ああ、青山の?」という反応があった程度には、まあ昔はそこそこ誰でも知っている古い建物群だったのですけど、僕が最初に目指したのは「猿江裏町共同住宅」通称「同潤会猿江アパート」でした。ここの特徴的な階段室を、ぜひとも僕は見てみたかったのです。おそらく1990年ごろ、学校から制服でそのまま行ったと記憶しています。
友人と二人で地図を頼りに現地にたどり着くと、敷地には仮囲いがされていました。老朽化のため解体寸前で住民はすでに退去した後、時間は夕方になろうという頃、まさかそんな、という気持ちで途方に暮れました。
暮れたんですけど、そのまま帰るのは癪だったので、仮囲いの隙間、人が入れるようになっているところから中に侵入しました。すると住人ではない一団の人がそこにいて、声をかけられました。
ちょうど東京都立大学(当時)の方々が実測調査をしているところで、事情を話すと「まだしばらくいるから中を見てくるといい」と、まさかの見学許可をいただきました。お礼を言うと僕らは影深くなりつつあるアパートに入り込みました。
入った場所がよかったのか、目指す階段室はすぐに見つかりました。L字に折れ曲がる建物の角に位置する階段室で、小さく急な螺旋階段がコンパクトに収まっていました。木製の手すりは滑らかにカーブを描き、3階まで上って見下ろすと、手すりに囲まれた空間が何やら異界ののぞき穴ででもあるかのように一階通廊の床が見えました。僕は、まさにこれを見に来たのです。
こちらのサイトに往時の写真があります すごいでしょう)
どんどん日暮れて暗くなる中、目的の場所だけはどうにか見られたものの、その時はそれ以上のものを受け取ることはできませんでした。都立大の方々にお礼を言って、連絡先を伺い、しばらく経ってから講演会のビデオとレジュメを送ってもらいました。そのレジュメが僕が初めて手にした同潤会アパート関連のまとまった資料で、それを読んで現状を把握するところから、再チャレンジが始まりました。
その時すでに東京では中之郷、横浜では山下町と平沼町のアパートが失われていて、他の建物もこのままでは見られなくなってしまう、という危機感にかられた僕は、看板建築に加えて同潤会アパートをテーマに加えました。
行けるところには全部行ってあわよくば入ってみよう、という企みです。

実際に回り始めると、同潤会アパートと一口に言ってもそれぞれだいぶ様相が異なっていて、具体的には「入れるアパート」と「入れないアパート」が明確に分かれました。「入れないアパート」はもっと正確に言うと「侵入すらままならないアパート」で、建物の設計上人目が気になり入れなかった上野下、男子禁制の女子アパートだった大塚、そして自治会が目を光らせていて紹介なしには敷地に入ることもまかりならないと言われた江戸川。
大塚女子アパートは明らかに他と雰囲気の違うデザインが、江戸川は「東洋一」とうたわれた同潤会最大の建築であることが気になっていたのですけど、入れないと言われれば仕方ありません。
逆に言うと、それ以外のアパートは室内までは無理でも中に入ることができたので、積極的に行くことにしました。バブルの頃で古い建物の所有者はみな様々な地上げ行為を警戒していたものの、一方では多少おおらかで、うまく話せる人に会いさえすれば中を案内してもらえました。
思い出深いのは下町の大通交差点に巨大な塊のようにそびえ、曲面で落とした角の最頂部に円盤状の屋根をいただいた「東大工町アパート」通称「清砂通アパート」です。
街歩きの手引書にしていたのは建築探偵シリーズはもちろん、松葉一清「帝都復興せり!ー『建築の東京』を歩く」という本も参考にしていましたが、これに大工町アパート1号館の竣工当時の写真が収載されていて、一発で好きになってしまいました。
同潤会アパートはおおむね水平垂直をピシッと出したドイツ風モダニズムを基調にした外観デザインをしていて、遊びの部分は内側にひっそり忍ばされていることが多いのですけど、ここでは表現主義かと思うような大曲面(ストリームラインじゃないのがポイントです)を見せ、新古典主義じみたシンプルな円柱をアクセントに配し、そのくせ古典系折衷様式みたいなテラコッタ装飾をちょっぴり入れてみたり、その威圧的ともいえるボリューム感のわりに茶目っ気があるのが面白い建物でした。
こちらのサイトを参考にどうぞ)
ここを初めて訪れたのは夏ごろだった気がします。人口密度が高いというか下町っぽい「敷地に対してぎちぎちに詰まった住戸群」という印象が強く、外観とえらく雰囲気が違うんだな、と思ったのを覚えています(実際ここは住戸数では同潤会アパート最大でした)。
ここも曲面壁の内側に格納された階段室がヨーロッパの雰囲気で美しく、なんだか開放的な感じだったので上って行ったら、おそらく自治会の方に呼び止められました。いつものように事情を話すと、そのまま上まで連れて行ってくれました。
階段を上って行った先は件の円盤屋根の下。いわく、ここはもともと子供たちの遊戯室として使われていたとのこと。本来は窓が嵌まっていたのだけど、空襲で焼け落ちて修復されないまま今に至っているとおっしゃられました。そんな状態なので子供が落ちると危ないから上がっちゃいけないことにしたんだけど…「どう?屋根の上に登ってみるかい」
もちろんそんなことを言われて断る理由はないので、大喜びでハッチをくぐって円盤屋根の上に出ました。
夏の風に吹かれて立つ眼下にはこのアパート群が作る街区が一望でき、その周りの街もぐるりと見渡せる大変な絶景だったのを覚えています。同じところを下から見るのと上から見るのとでは大きく印象が異なるものですが、招かれてその風景に接するのは大変な幸運だったと今も思います。
そんな清砂通アパートもすでにありません。しかし後に建った建物はその形の記憶をとどめるようにデザインされ、今も変わらずあの角には大きな曲面壁と円盤屋根のシルエットがあるのです。

同潤会アパートを実際に訪れ触れられたのはほんの短い間でしたが、求めているといろいろな幸運に巡り合うもので、一度は拒まれた江戸川アパートに入ることができ、しかも居室内まで見ることができました。
いずれ書く「同潤会アパートのこと・2」は江戸川アパートと、大好きだった代官山アパートについての記憶です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?