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イレギュラーさん

「イレギュラーさん」って、たまにいます。
私もその一人なのだろうなと思うことが多々あります。
何かとイレギュラーなことを起こしているように周りからは言われたり見られたりしているけれど、実際にはイレギュラーなことが、思いがけずこの身に降りかかっていたりします。
面白いくらいにイレギュラーなことは、私がまるでそこにいるからと言わんばかりに起こるのです。

でも悪いことばかりではないし、嬉しいことや喜ばしいこともたまにはあるもので、その時にはまったく納得できなかったとしても、後々なるほど~そういうことだったのねと気づくこともあったりします。

タイミングがものすごくよくて神の采配だったのかと思えるような。
点と点が線で結ばれるような感覚になることもあります。

「イレギュラーさん」に降りかかる出来事は何せ初めてのことが多いので、それらに絡む相手もどうしたらよいのか分からないことも多い。
だからその場合には、必ず自ら交渉をしなければならない状況に陥ることも多い。
言いたいことは言うし、おかしいと思うことは主張する。もちろん、自分のためになること。自分が得をするようにしたいと思うのは当然か、人間ですもの。
そしてまた、私の後に同じ思い(嫌な思い)をする人がいないようにしたいという環境整備的な役割でもあったりして。なんてのは少し大袈裟だけど。
ここまでこの身に起こり続けているところをみると、これはある種の役割分担のような気さえしてくる。

人には適材適所があり、やっぱり向き不向きはあるようにも思うのです。

「イレギュラーさん」の役割は、時に大きく言うと改革とも言える働きをすることもある。そして私は意外とこの役割が嫌いでもなかったりする。
「えーっ!なんで」なんて言いながらも、どこかで内心、快感を覚えている感覚があったりして。そんな少しピリッとする刺激が好きなんでしょうね。
完全に飲み込まれるほどの大きな波はできるだけ受けたくないですが…
でも交渉したり、身の振り方を決めた時に、上手くいくこともあれば、いかないことも時にはあるけれど、イレギュラーなケースが、自分の在り方や考え方を整理する場になったりすることもあり、そんな機会を与えてもらえていることをありがたく思うことも多いです。

けれど一つ残念なことは、大抵の場合「イレギュラーさん」が得をすることは、ほとんどないということ。そういう欲を出してはいけないということか。
いつの日か私を含む「イレギュラーさん」たちにも日の目が出るときがありますようにと、ささやかな願いを込めて。

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