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曖昧さから生まれるもの

私は好きな季節を聞かれると、変わり目が好きですと答える。
冬から春になる期待感、春から夏になる空気の匂い、
夏と秋が重なる空の色、秋から冬になる時の白い息。

明確に「これだ」と言えることはなんて清々しいんだろう。
言い切れる強さを持つ人。その覚悟を持った人の横顔は美しい。

だけどなぜか、私が惹かれるのは、季節の変わり目のように
その間にある曖昧なものだった。

このnoteは、THE COACH academyの中で生まれた企画「コーチングについて語るアドベントカレンダー」の記事として書いています。
ノムノムさん、ありがとうございます*


成長こそ正義、現状維持は停滞という価値観

どちらかというと、目標を持って成長することを良しとする環境で育ってきた。学生時代の部活も勝つことに対し必死にやってきたし、大学は有名学ではないけど自分はこれをやりたいんだ!と強い意志を持って選んだし、このままではダメだと思って休学して長期インターンにチャレンジしたこともあった。仕事もみんなで上を目指そう、という雰囲気のもとで食らいついてき
たしそれが好きだった。楽しかった。


許せなかった曖昧な自分


そんな私が味わった、自分への失望。仕事に行くことが出来なくなってしまったのだ。もう何かに一生懸命になったり、全力になれることはないんじゃないか?私って何を大事にしたいんだっけ?何にも答えられなかった。

その後少しづつリハビリをする中で、また何かに全力で取り組んでみたい自分と、もうこりごりだよと思う自分がいた。明確なことは何もなくて、何もかもが曖昧で中途半端な自分が許せなかった。ひとりだと焦りしか生まれない時期だったけど、人に助けてもらいながら、なんとか揺れる自分を少しづつ見つめることが出来たと思う。

「人の可能性に気づいたり、広げたりしたい」と思ってコーチングを勉強しはじめたのは嘘じゃない。でも自分自身が可能性に気づきたかったんだなと今では思う。少なからず「コレだというわかりやすいスキルが欲しい」という焦りから勉強を始めた私は、いい意味で裏切られ、信頼関係の大切さや、本当の意味で人の話を聴くことの強さを学んでいる。

勉強を進める中で、私は自分の曖昧さと少しだけ向き合えた。

この先何にでもなれる

コーチングを学ぶ中で何度も言われた「今ここに現れる感情にフォーカスする」ということ。焦っていた時の私は、いつだって今を見ていなくて、過去の自分と比較して未来を見ては悲観的になっていた。

今の感情を見つめることは、ひとりでは難しい。THE COACHはコーチングを学ぶというよりも、受けながら感じるカリキュラムになっているので、授業そのものがもどかしい自分を見つめるコーチングの機会になった。

仲間と話をする中で今ここに現れる感情にフォーカスした結果、なんとも意外だったのは「曖昧なままで今はいい」という気持ちが浮かんできた。コーチングを学んだからかもしれないけど、私に必要だから今曖昧なんだ曖昧だったらこの先何にでもなれるんじゃない?と。

そう肩の力がぬけてから私は少し変わった。何もないと思った私にもできることがあったこと、やってみたいと思えることを少しづつやってみること。応用コースに進むことだって、私にとっては前進だった。こうやって文章にしてみているのも一歩前進。

曖昧さを抱きしめたら、前に進めた。

置いてけぼりにしてごめんね、という気持ちが生まれて、ああ、私は世の中にある曖昧なものの中に美しさを見出したいんだ、と思った。

いつだって人はわかりやすい正解を求める。正解が出たものだけが世の中に知れ渡る。それはそれで素晴らしいことだけど、私がフォーカスしたいのは、形も色も定まらず、何にでもなれる可能性を秘めた愛おしい存在なのだ。

このnoteを書いたのは紅葉が美しくて朝晩が冷え込む秋から冬の変わり目。変わり目はいつだって美しい。

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