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「愛を終わらせない方法。それはなんでしょう」 / "4月になれば彼女は"より

たまたま長女の習い事の帰り道につけていた車のテレビ画面に、新しい映画「4月になれば彼女は」の公開記念特番「Bar April ~それでも人は恋をする~」が放送されていました。

「4月になれば彼女は」の主人公・藤代役の佐藤さんがバーテンダーを務める「Bar April」に、藤代の婚約者・弥生役の長澤さんと、藤代の初恋の女性・春役の森さんが来店。スペシャルカクテルと共に、恋愛、人間関係の悩みに真面目に答えるトーク企画となっている。

ここにも公開されてた!
https://www.youtube.com/watch?v=UpzY0WpW5wc

この番組の中で、街角の声として
「推しがいれば、恋愛はいらない」的な発言をされていた方がいて、それがすっごく衝撃的だったんです。


その日の夜は、夫に

「いやいや、いくら推しがいたってよ?その人には触れれないんよ?自分のものにならんのよ?一方通行の感情なんよ?推せば推すほど、辛くならん?それで満足できるわけ???」

と切々と語ったのですが、どんなに私が頭に「??」を浮かべながら嘆こうが、夫は「いや、俺はその気持ち、理解できる」「それが今の時代」の一点張り。


おう、そうだった。夫はかつてモノノフであった。(ももクロの熱烈ファン)


私には誰か、何かに、長期間、強烈にハマる、という経験がないので、最近言われてるもう経済は「推し」でしか動かないぞ、みたいな話が、「まあそうだよね〜」と思いつつも、根本的に理解できてないのかもしれませぬ。。。


そんな納得のいかなさから、なんとなく気になって原作小説「4月になれば彼女は」を読むに至った。

ひっさしぶりに、いわゆる「恋愛」がど真ん中にある小説を読んだ気がしました。


「愛を終わらせない方法。それはなんでしょう」


4月、はじめて付き合った彼女から手紙が届いた。そのとき僕は結婚を決めていた。愛しているのかわからない人と――。

天空の鏡・ウユニ塩湖にある塩のホテルで書かれたそれには、恋の瑞々しいはじまりとともに、二人が付き合っていた頃の記憶が綴られていた。ある事件をきっかけに別れてしまった彼女は、なぜ今になって手紙を書いてきたのか。時を同じくして、1年後に結婚をひかえている婚約者、彼女の妹、職場の同僚の恋模様にも、劇的な変化がおとずれる。愛している、愛されている。そのことを確認したいと切実に願う。けれどなぜ、恋も愛も、やがては過ぎ去っていってしまうのか――。
失った恋に翻弄される12カ月がはじまる。

胸をえぐられる、切なさが溢れだす
『世界から猫が消えたなら』『億男』の著者、2年ぶりの最新刊

愛するって、なんだったのか。
それを忘れてしまった結婚前の二人が、かつて誰かを愛していたあの時の気持ちに、あの時の感情に、もう一度出逢いに行くお話だった。

「愛を終わらせない方法。それはなんでしょう」
そんな手紙を残して、婚約者は失踪してしまう。意味深!!


そうして主人公の藤代くんは、あれこれ奔走する。
でも、彼は、本気で彼女を見つけようとしているのだろうか?

離したくないものは、嫌だ!と、ハッキリ言ってきただろうか?
さぁ、彼はいつ目を覚ますのか……。

最後まで読んでみて、私が感じたその問いの答えは
「愛を終わらせない方法。
うつろいゆく時間の中で、こっちも愛してる。あっちも愛してる。そんなふうにお互いの愛が重なるのは一瞬だけど、だとしても、お互いが変化しながらも、愛することをサボり続けないことが大事」

と読めました。


「私たちは愛することをさぼった。面倒くさがった。些細な気持を積み重ね、重ね合わせていくことをさぼった。」

「4月になれば彼女は」より

確かに、この地球上で、変化しないものはない。
刻一刻と自然は姿を変えるし、風はいつも同じようには吹かないし、天体も私たちも動き続けている。

生きている限り、変化していく。
その変化によって、凸と凹が合致しなくなったとしても、またお互いの形に合わせて重ね合わせたらいいよね。


その変化を前提にした考え方は、とても前向きなものに感じました。


変化を前提に、愛の形も変えていく


そして移ろいや変化を感じ取り、ふにゃんふにゃんと形を合わせてくさまは、相手をまっすぐと見ていますよね。


人格という意味では変わらない部分もあるかもしれませんが、けれど、生きている限り微妙に変化をしている。
だから、
「この人はずっとこうだ」
「この人はこういう人」

という思い込みは、自分が色メガネで相手を見ている場合もあるかもしれません。

「自分自身の、変化しない」相手への思い込みを手放したとき、何の偏見もなく、フラットに、その人への評価も判断も分析もせず、解釈なく、相手をまっすぐ見ることができれば、本当に「いま」の相手に向き合えるし、愛を重ねられるように思いました。

"わたしは愛したときに、はじめて愛された。 それはまるで、日食のようでした。 「わたしの愛」と「あなたの愛」が等しく重なっていたときは、ほんの一瞬。 避けがたく今日の愛から、明日の愛へと変わっていく。 けれども、その一瞬を共有できたふたりだけが、愛が変わっていくことに寄り添っていけるのだと思う"

「4月になれば彼女は」より

そういう意味では、推しはすごいですよね。
変化し続けていることも含め、(きっと)応援しているんですもん。

いや、むしろ変化を楽しんでいるのかも。
変化、つまり新しい挑戦だったり、新しいステージだったり、新しい姿だったり、新しい一面だったり。推しこそ積極的な変化を提供しているように思いますし、その対象がどんな選択をしたとしても、応援し続けらるのが、ホンモノの推しのように思います。

そして推しから、たくさんのものを受け取っているんだろうなぁ。


なんかその推しと自分との心理的距離感がとても近くて、しかもすごく強烈で大きな感情や熱を持っていて、それだけのエネルギーを持っている人たちの凄さをまざまざと感じます。


そのエネルギーって……
没入?


先日のニイガタIDSデザインコンペの総評の中で「これから求められるサービス、商品」の話の中で「没入感」がキーワードとして挙がっていました。


本当に誰かを愛していた。その瞬間も、強烈な没入感ですし、誰かを強く応援している推し活も対象への没入感です。


「没入」に関しては、もう少し学びを深めたいワードなので、ちょっと引き続き勉強しようと思います。

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