見出し画像

生き抜くための足場をたくさん持つ

朝の支度をしていると、後ろから声がかかりました。


「お母さん、ゼリーはないんだよ」

さっきまで寝ていた息子(2歳)が、いつの間にかムクリと起きていました。とは言え、まだまだ夢の中にいるようで、不思議が発言が続きました。


大好きなゼリーに心があるようです。


「ゼリーはお姉ちゃんに怒られたんだよ。」
「ゼリーはないんだよ。」


いろんなことを寝ぼけなまこで訴えてくる姿は、そのお姿含め、もちもちの君を食べちゃいたい。ああ、愛おしいなぁ。
一生このフォルムだったらいいのに、と思いながら、変化し続ける君の一瞬一瞬と捉える。でも毎日、捉えたかと思ったそれは、するする抜けていく。それが成長してくってことなのかな。こどもたちは毎日、毎日、変化し続けてゆく。


そういえば、何か大きな失敗をしたとしても、この「母」でいさせてくれる時間が、「私」を守ってきてくれていた、と思います。


いろんな役割が「私」を取り合うと、しんどい


加工所建設に失敗したときも、どんな言葉を投げかけられたとしても、人格否定をされたとしても、家に帰ると「お母さん」と私を呼ぶこどもたちがいる。
それってとても不思議な感覚で、あんなに人格否定される私も、誰かのお母さんだなんて、笑えるね、っていう感覚に当時は近かったし、

私を、もう一人の私に引き戻してくれるものでもあったり。


仕事をする私、妻である私、母である私、友人である私。
大人になるほど、いろんな顔が増えてきて、役割も増えてきて、以前まではその役割一つ一つが自分の時間の円グラフの中身を取り合っているようで「しんど…」と思っていました。

そう、結構これって苦しくて、どちらかと言うと私は自分の時間や人生の円グラフを仕事とか好きなことで満たしたいと思っていました。


でも、最近は自分のその一つの円グラフがあるという感覚ではなく、円グラフの外にもう一つ、円グラフがある、みたいな捉え方もできるようになりました。


小さな円が、自分の中にたくさんある


この考え方って、この前読んだ「空白を満たしなさい」(平野啓一郎著)の分人の考え方に大いに影響を受けています。

それに、もっと言えば、それより前に読んだ「サラバ!」(西加奈子著)に出てきた、孝子からも影響を受けている。

どれもどれも、自分の人生を生きるために、自分と自分の時間、空間、身体をどう捉えていくか、ということだと思うんだけども。


私はどれに対しても100%で向き合う。
多分その円グラフの数を増やすには限界があるけれど、でも円グラフの大きさは大小あってもいいよね。


そして小さくてもいいから、いろんな円グラフが何個かあることは、何か苦しいことがあった時に、私自身が立つ足場の一つになってくれる。足場はたくさんあった方が立つにも安定するでしょ?


人生を走り抜くための足場を、一つでも多く持って、がんばれるために。そのために母になったような。いや、自分の人生をもっと楽しむために、「楽しいね」って言い合える人を一人でも多くいた方が。だから、母になったような。


今回の新しい朝ドラ「虎に翼」を横目で見ながら、思ったのでありました。

いただいたサポートは、里山農業からの新しいチャレンジやワクワクするものづくりに投資して、言葉にしてnoteで届けてまいります!よろしくお願いします。