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いま、みんなが見つめている「問い」がある/ 「汝、星のごとく」から学ぶ【感動探求】

いま、社会のテーマは「正しさって何?」だろうか。
多様性が叫ばれ、そして未知の「多様」がどんどん出現し、その中で戸惑い、ときに拒み、受け入れ、押し付け…その戸惑いというか、価値観の過渡期なんだろうな、と感じている。

今日の本は、2023年の本屋大賞の作品「汝、星の如く」(凪良ゆう著)。
同じ作家さんの本だと「流浪の月」を読んだ。

https://note.com/kanakosato/n/nf9f683f8a556

凪良さんの作品は、社会の正しさや普通と言われているようなものから少し外れていて、生きづらさを感じている人たちが登場する。

「汝、星のごとく」もそうだった。
彼氏に捨てられまくる母、壊れる母、母子・父子家庭、不倫、同性愛、血のつながらない家族、職場で不当な扱いを受ける女性。

読めば読むほど、周りが押し付けてくるらしき、そのふわっとした「正しさ」って、なんなん?真実は、その人にしか分からないし、当人にしか分からない苦しさもあるのに。

他者が自分の人生に介入し、過度に口出ししすぎる社会が、しんどい。
というか、最近の小説、「正しさ」をテーマにしたものが、すごく多い気がする。これ今の社会のテーマなんかな。


「汝、星の如く」の中では、彼らなりの正しさを、景色を、守ろうとしている。真っ暗の中でも彼ららしく、輝いている。
その二人のあり方は、一見なんも知らん人からは「おかしいんとちゃうん?」と思われるものでも、彼らはそのあり方や選択を、信じている。


そして、それらを支える手触りのある情景のひとつひとつが、的確で等身大な比喩表現で描かれていて、とても好きな作家さんだな、と感じた。

さて、凪良さん自身も、小学生の頃に児童養護施設に入所し、15歳で働き始めている。

母子家庭で、小さい頃から家事を全て行っていた。そして母は突然、帰ってこなくなった。ハードモードな人生。

だからこそ「嫌なことがあったら逃げてもいい。
それを非難する人がいたら『ぬるい人生送っていて幸せですね』とばかにしていい」と力強く語る言葉は、凪良さんだからこそ出る言葉だし、とても力強い。

それくらい、開き直っていい。
その開き直りっぷりは、強くて、しなやかで、したたかだ。


では「感動探求」。
この小説を、自分の表現や暮らしで転用できる点ってどこだろう?

●小説は、問いを深めていく論文のようだ

小説を書くようになって学んだことがあった。

「素晴らしい作品には全て『問い』があって、その問いを物語を通じて深めたり、答えようとしたりしている」のだ。


それから、この小説の問いってなんだろうか?と、探り探り読むようになった。

この、一つの問いに対して、あーだこーだといろんな角度から切ってゆく感覚は、ああ、大学のときに書いてた(書かされてた?)論文と似てる。
実は論文を書く作業がとっても苦手だった。

このテーマに関して、
この人はこー言ってる、この研究ではこーゆのがある、と様々な意見を引っ張ってきて、だから私はこー思う、みたいに書くんだけれど、先人たちの引用が多いからこそ、その論文の中身全てが自分の創造物ではないことがモヤっとしてた。(どーゆーこっちゃ)


とはいえ、思考を深める過程で、全てが完全に自分のオリジナルとなることはない。自分が考える過程も、いろんな情報や視点に触れ、そこに自分だけの体験や思考が掛け合わされて、オリジナルなアウトプットになっていくのだろうから。

●名著には、その時代の問いが投げられている

さて、小説って、すごく論文的なんだな、と気づいてから、完全なるエンタメというだけでなく、書店に並ぶ本たちの社会への眼差しを、ひしひしと感じるようになった。


そう思うとなるほど、昔の名著と言われている小説たちが、名著と言われる理由が分かるようだった!

エンタメ的に面白い、というのは大前提としてあるんだろうが、その小説が書かれた時代がどんな時代で、作者は何を感じ、その当時の社会に対して、どんな問いを投げかけ、深め、思考し、何かを言いたかったのか。


これを小説という形ではなく、おおっぴらに社会に対して評論すると、きっと殺される時代もあっただろうし、政治的・宗教的にも難しい時代もあっただろう。

だからこそ、小説という形を借りて、エンタメという仮面をかぶって、問いを投げる形もある。作者がそれを意図していたかどうかは分からないが、そういうものも存在していただろう。

物語の力を借りて、問いを投げる。
社会を変える。

●では、「汝、星の如く」の問いは何か?

凪良さん自身が歩んできた人生からも、そして前作からも、一貫してずっと「普通ってなんなん?」みたいな問いが、根底にあるように思われた。


問いをいろんな角度から深めるために、それぞれ共通点のある論者が登場していく。彼らが交錯して、いろんな立場から、問いを深めていく。


その問いは何か?


「汝、星のごとく」の問いは
「正しさとは何か?」だと思う。


伝えたい問い、読者とともに深めたい問い、テーマは、真正面から投げない方が伝わることもあるのだろう。

●伝えたいことを伝えるためには、相手の「普段着」を手段に

そういえば思い出した!
学生のときに、UNHCRユースという学生団体に所属していた。(UNHCRは国連難民高等弁務官事務所の略)

難民支援について学ぶ団体だったのだが、なんせ一般人、ましてや日本にとって難民問題は遠い問題になりがちだ。

多くの人にとっては、それよりも重要な悩みや課題があるだろう。
だからこそ、どうやって日常に、自分ごとに考えてもらうか、という議論の中で

「普段着の難民支援」という言葉が出た。


国際問題、難民支援について、そのままストレートに伝えるのではなく、手段を変える。その手段は、限りなく、伝えたい人にとっての普段着でなければならない。


入り口を広く、低くするのだ。
その表現としての「普段着」だった。


小説も同じだ。


小説や映画を通じて、自分が気づいていなかった現代の問いに出会ってゆく。
そして社会を見る目が変わっていく。深みを増してゆく。世界が広がる。

自分が見える世界を、アップデートし続けるために、そして考えることを諦めないために、小説と出会っていくのは、なんだかワクワクする。


そんな物語を私も、描いていきたい。

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