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ひとまず上出来

ひとまず上出来
ジェーン・スー

・地球滅亡前夜、私はいままででいちばん自由になれる!
そう考えると、いま現在、私はなんのために生きているのかという疑問が頭をもたげてきます。

・膝を閉じていれば清楚に見える?嫁にいける?馬鹿馬鹿しい。おしとやかでなければ嫁げなかった時代は終わったのに、形骸化した概念だけが世間にこびりついている。女の二本足の間についているものをどう扱うか、所有者ではなく社会が決める恐ろしい話。

・本当の心地よさがひとつ上や下のサイズにあったなんて、考えたこともなかった。思わぬところで、「私にはこれ」という固定観念に囚われていたのだな。あ、でもそれを決めたのはいつのことだっけ?


たとえばランチ、住んでいる街、洋服やコスメ。「私にはこの辺が妥当」と半ば思考停止でジャッチしていることを、めんどうくさがらずに変えてみる。
すると、八方塞がりなモヤモヤが晴れ、自己固定感が高まることもあるやもしれず。

・あの頃は、「私は楽しい時間を過ごしました」の表明が、私を幸せにしたから。楽しいことから見放された人に見られるのがなにより怖かったから。
いまだって、楽しい出来事は楽しいのです。しかし、楽しさを担任に喧伝することは、二十代の頃より私を幸せにしなくなりました。楽しいことは、自分で楽しんでいれば十分なのだよ。

・誰かにとっての、「取り返しのつかなくなること」は、非常にパーソナルな領域に宿るのでしょう。手放したらマズイと感じるものこそが、その人ををの人たらしめているのだな。

・人生に起こる予想外のドラマを、存分に楽しんでいる様子が眩しすぎます。楽しそうな方向へ素直に引っ張られるためには、「自分にはなにが起こっても大丈夫」と信じられる胆力が必要。彼女はそれを持っているのだな。


不測の事態に慌てふためかず、世間では年甲斐もないとされることにも怯えず、自分が楽しいと思ったほうに引っ張られて、自分で自分を幸せにしなきゃ。
自分を不幸せな場所に置いたままにしない。自分で選択したことの責任を取る。大人の責務って、この二つくらいだものね。

・豊かな時代に育った人は、自分にも他人にも寛容なんだろう。

・子どもを持たない人生を謳歌することと、愛情をないがしろにすることは別問題。愛情のメタファーである赤ちゃんをいの一番で抱き上げる人だけが、死に水を取ってもらえるのが世の常だ。

・これは真実と事実の違い。事実はひとつしかないけれど、真実は人の数だけ存在するってやつ。

・忘れちゃいけないのは、自分はなにが得意なのかも、他社が勝手に決めるということ。好きなことと得意なことは、違っていいのだ。
夢があるなら、それが荒唐無稽なほど、いまの自分を評価してくれる場所を見つけ、そこで「あなたはこれが得意ね」と言われることをやり続けたらいいと思います。
努力するなら、そっちの方が楽しい。



スーさんがNHKあさイチに出演されているのを見て、
まだ読んでいない書籍を読みたい気持ちがむくむくと。

少しずつ読み進めていきたいと思います。

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