ほんのちょっと当事者

ほんのちょっと当事者 青山 ゆみこ

・人は「ある」ものには意識を向けられるが、「ない」ものに気づくことは難しい。「聞こえる」彼らがいて、わたしは初めて「聞こえない」音があると認識できるのだ。

・資格うんぬんではなく知識って大事だ。そしてその知識を使うタイミングが来たときに、さっと取り出せる意識をもつことがなにより大事だと思う。

・恵まれた人が困っている人に手を差し伸べる。そうした一方向の話ではなくて、お互いさまのどっちもどっち。同じ社会で生きるというのは、互いに迷惑をかけあっていくのが当たり前。

・困りごとは、当事者や周りを困惑させもするが、不思議と姿を変えて、困りごとなだけでなくなることもある。考えてみれば、いまのわたしはそうした困りごとがあったから、カタチづくられたのだとも思う。



いつ自分が自己破産するか、いつ自分が生活保護を受けるか、いつ自分が働けなくなってしまうか、こうして平凡な毎日が当たり前に続くと思っているけど、最近は自分の身に何が起きてもおかしくないなと常々感じる。

そんなとき「ほんのちょっと当事者」を読んで、少しだけ気が引き締まった。

「つまんないなー」「なんかいいことないかなー」と思いながら、「ああ今日も大したことはできなかった」と落ち込みながらも、健康に衣食住に困らず暮らせているのは実はすごく幸せなことなんだと思った。


生きづらさを感じないわけではない。気持ちを落ち着かせる薬だってなかなか手放せない。常にあれこれ考えては不安になってしまう。ぜーんぶ放り出して、自分のことを誰も知らない場所で暮らしたい、でもそんな勇気も行動力もない。自分ってなんなんだろう。

それでもそばにいてくれるパートナー、家族、友人。「なんでこんなわたしなんかを見放さずにいてくれるんだろう」と思ってしまう。本当は「ありがとう」と言うべきなのに。

いつかもう少し自分の気持ちが前向きになったら「いつもありがとう」って言いたい。

それまでに著書にもあったようにたくさん知識を蓄えて、大切な人や身近に困っている人がいたら、その知識をサッと取り出して前向きな気持ちを分けてあげられる、安心をあげられる人にちょっとでもなりたい。


みんなはどんな生きづらさを抱えて生活しているんだろう。

みんなはどんな誰にも言えない悩みを抱えながら毎日必死に生きてるんだろう。

本当の気持ちを吐き出せたら、それを受け止めてくれる人がいたら、そう思いながら毎日みんな必死なんだと思ったら、自分と重なって苦しくなってしまう。

わたしはいつか誰かの支えになれるんだろうか。

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