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誕生日おめでとう!に関する違和感


誕生日を祝うのが苦手だ。


いや、周りのみんなが「誕生日おめでとう!」と言い合っていたり、「僕、もうすぐ誕生日〜♪」みたいにしているのは、素直に微笑ましいというか、「うんうん」と目を細めてみている自分がいる。

楽しいのはいいことだ。



困るのが「自分の誕生日」だ。


「自分を祝ってもらう」ことに、

なんの感情もわかない。笑

むしろ違和感がある。



自分としては、

誕生日=「生み出された日」

という感じで、、、強いていうなら

「お母さん、産んでくれてありがとうの日」

ってイメージ。


もっというなら

「カナコさんを産んでくれたお母さんありがとう」

って、私の誕生日に母親に言ってもらった方が意味がわかる。笑



母親や家族、昔から知っている親族から「おめでとう」と言われるのはまだ納得感がある。

「よく育ったね」みたいなニュアンスも含めての「(無事大きくなって)おめでとう」みたいな感じかな、って解釈している。



身内ですらそんな感じなのに、友達どころか知り合い程度の人とかに「誕生日ですね、おめでとうございます」と言われたりするのは実はちょっと苦手。

それに対して「ありがとうございます」というのがとても違和感があるので、誕生日は基本的に公表しないようにしている。


FacebookやTwitterでも誕生日は未記入。

祝われたいと思ったことがない。



逆にじゃあ、友達や知人の誕生日は?

こんなこと言うと冷徹な人だ!と思われるかもだけど、実は全然「誕生日おめでとう」って気分じゃない。笑


もちろん、目の前にしたら「おめでとう」と言うけれど、ニュアンスがなんか違うよな・・・って思う。


おめでとうって言うか、、、、

友達や仲の良い人なら

「あなたとまた1年こうして一緒にいれて嬉しいよ」

みたいな気持ちになる。


だから「お祝い」より本来は「感謝」の方が近い感情かもしれないな。

それを「おめでとう」というお祝いの形でしか表せないのなら・・・ということで、便宜上、全てを包括しておめでとうと言っている感じなのかな。


誰かに「誕生日おめでとう」って私がいう時。

おめでとう、ではなく、感謝なのか、喜びなのか、その対象者によっても違う微妙な、でもポジティブな意味が含まれている。


もしかしたらきちんと祝われてきたからこそ、そういうひねくれた見方をしているのかもしれない。

こういう感情は環境が作るものなのかな?


素直じゃないなあと、自分でも思う。

けれど、固定観念に囚われない生き方をしたいから、なんでも一旦疑う癖がついているのだ私なのだ。


当たり前のように言っているフレーズを、今一度見直したい。


「お誕生日、おめでとう」は、

みんなどんな気持ちで言っているの?


そんなことを投げかけてみたい、夜。



誕生日を祝うことに関する違和感のある人、やっぱ他にもいた。


誕生日や、そもそも「記念日」というものを重視していない、というのも大きいのかもしれないな。


その話もいずれまた。

自分が楽しいことをしてたらうっかり周りも楽しくならないかな?という気持ちで活動しています。応援してもらえるととても嬉しいです!