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思い出を歩く春の一日

地元山形市は桜が満開です。

タイトル写真と同じ場所。仕事中だったので、車の中から通りすがりに。

咲くのがいちばん遅い、馬見ヶ崎川沿いの桜も満開。

この日のお仕事はスムーズでした。前日の取材が、自分の中でトラウマになるくらい大変だったので、変に緊張していたのですが、いつも通りやれば大丈夫、ほっとしました。

思いがけず仕事が早く終わったので、実家に寄るついでに、母校近くの千歳山の麓をぶらり散歩してきました。

写真がないので、→千歳山

子どもの頃、大好きだった公園の桜も盛り。誰もいなくて、桜を独り占め。

こんなに綺麗なのに、かなりの穴場です。平日日中だから、子どもの声も聞こえない。ときどき、年配のお花見客が通るくらい。

大勢でワイワイ騒ぎたいときはお花見スポットもいいけれど、一人でゆっくり観たいときにはここに来る。

大好きな作家の一節を思い出した。

夜桜について書いた項。文章そのものは忘れてしまったけれど、その情景だけを覚えている。

人けのない場所に立つ桜が、今を盛りに咲き誇っている。

誰に愛でられることもないその桜を、ふと通りすがった作者が見上げてる。

でも、こんなに綺麗なものを、誰も見ていないわけがない…。

作者の目線ではなく、場面は俯瞰。空気全体が、桜と作者を見下ろしている。

誰かが、見ている。人じゃないかもしれない。

その人は絵と詩を描く人だったから、そういう視点で物事をとらえられる。

実在しないものも描ける。嘘さえ、描ける。

文章と絵は、どこまでも自由だ。

・・

桜の根元には浅葱(あさつき・最上地方ではひろっこという)が群生していた。

みんな桜ばかり見上げて足元を見ない。

通りすがりのおじいさんが私に話しかけてきたので、この場所の桜はいつ植えられたのか聞いたら、戦時中、ここは畑だったからそのときに植えたのだろうと言っていた。浅葱も当時は食用だったのかもしれない。

染井吉野の寿命は約70年。霞城公園のように100年以上も立っている桜もあるけれど、この公園の桜もかなり老齢で、記憶と比べるしかないけれど、私が子どもの頃のような勢いはないように見える。病気の治療の痕もちらほら。

染井吉野はてんぐ巣病にかかりやすい。桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿、という諺の理由は、桜が切断面から病気になりやすいためだという。

30年後には、この場所の桜もみられなくなっているかもしれない。

私がカメラを持っているのを見たおじいさんは「きれいなソメイヨシノだけじゃなく、これも撮って」と言った。

染井吉野の大木の中心にひっそりと生えた、大島桜。道行く人は、誰も目を向けない。葉と一緒に花が開花する大島桜の花びらは真っ白。

あとで調べてみたら、大島桜の寿命は500年ほどあるのだという。もしかしたら染井吉野よりも前からこの場所にあったのかもしれない。

私がいる間、何人か年配の花見客が通ったけれど、みんな浅葱を踏みながら、染井吉野だけ見て、帰っていった。

私も数年前まで彼らと同じだったから、それが悪いと思っているわけでもない。

知らなければ見過ごしてしまうだけ。

おじいさんは静かに歩いて去って行った。軽装だったから、たぶん近くに住んでいる人。

少なくともあのおじいさんが散歩に歩けるうちは、大島桜を愛でてくれる人がいるということ。

・・

千歳山は麓をぐるりと車で一周でき、国道に面したこんにゃく屋の奥に、稲荷神社へ続く鳥居が並ぶ。

山形市を見守るような位置に立っている千歳山は、たぶん本当に昔は、この地域を見渡すための重要な場所で、神聖なところだったのだと思う。

30分くらい時間があったので、少し登った場所にある神殿まで歩いてお参りに行った。

最後に足を踏み入れたのは実に20年以上前。

小学校で毎年山頂まで登山していたし、とても大好きな場所で、子どもだけで登ったりもしていたのだけれど、大人になって足が遠のいてしまっていた。

(小学2年生の頃、同級生とお弁当を持って登っていた。今の時代だったら「危険、ダメ」って許してもらえなかったと思う)

登山道からは山形市の街が見渡せる場所がいくつかある。

見下ろす山形市は建物で埋め尽くされていて、30年近く前には田んぼが広がっていて、高い建物もほとんどなかったけれど、今は田畑を探すことも難しい。

国道からそれほど離れた場所ではないので、行き交う車のゴーッという音が響いていた。麓よりも上空にいる方が音が大きい。大気の中で共鳴して何倍にも増幅されたような響き方。とても奇妙な感覚。木々に囲まれて、静謐な山道を歩いているのに、聞こえてくる音は都会のそれ。

でも、それが今の時代なんだろうなと思う。懐古しつつ、この時代の空気感を丸ごと味わう。それを伝えていく。温故知新。巡るというよりは、更新していく。

最近、一つ一つの鳥居が建てられた時期と、奉納した人の名前を見て歩くようになった。これも、興味がない人は全く見ない。

竹林があった。雪解け直後の今の時期に、この緑は目にも鮮やか。

千歳山は阿古耶姫によって命名開山された信仰の山でもあり、古く平安時代から良く知られている地。

古歌にも

「みちのくはひろき国ぞときくものを 阿古耶の松にさわる月影」

と詠まれている。私の実家の近くにも、阿古耶姫にまつわる伝説が残る川が流れている。

上山市に滞在した沢庵和尚も詠んでいる。

「思ひきや今宵の月をみちのくの 阿古耶の松の陰に見むとは」

「千歳山千代もとかけてめでたきは 阿古耶の松に木がくれの月」

考えてみれば「千歳山」とはすごい名前。

平和記念。

千歳山には稲荷神社が点在している。

稲荷神は、食物神・農業神・殖産興業神・商業神・屋敷神など。このへんは全く無知なので、これから勉強しようと思ってる。

ふと寄っただけだったけど、たくさんの気づきをもらった。呼ばれたかな。

こういう取材記を、たくさん書きたい。

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