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強くなければならなかった


6月に開けたピアスの穴。
眠る時に枕にあたると痛くて、左向きにしか横になれなかった。
最近ようやく右に向いても痛みなく眠れるようになった。

市役所で教えてもらった、ひとり親への月一回の食糧配布。お米とか賞味期限が近いレトルト食品やお菓子、企業が寄付をしてくれて成り立っている。正直とても有り難い。昨日、夏休みで暇を持て余している子どもたちを連れて行ってみた。

「三人も男の子がいて大変ね。お母さん、強くないとやっていけないでしょう?」
「たくさん食べるでしょ、ちょっと待ってね。お米おまけしてあげる」

強くなければやっていけない。
買い物も苦手だ。でも子どもたちがアイス食べたいと言えば買いに行く。
そんなにテキパキ規則正しく動ける性格じゃない。少し先のことを予測して、日常をこなす。ゴミ出しも学校行事も習い事も。母であることに向いてないと思う。
でもわたしは子どもたちのために笑って、彼らの未来を照らしていかなければならない。
だから本来の自分に発破をかけて、ひと回りふた回り強い自分で生きていかなければならない。

夜勤が多いせいか、薬の調整がうまくいってないのか、精神的なものなのかよく眠れない。
眠れないまま動き続ける。

仕事で嬉しいことがあった。
先輩の同僚職員にそれを話すと、
「それを幸せと感じられるなら、おほさんの天職だね」
人員不足が加速して、仲の良い職員が辞めようとしている。
わたしが働けているのは、子どもたちのためもあるけれど、一緒に働く仲間と利用者さんが支えてくれているからだ。それがなければ働けない。
だから、しんどい人がいれば、自分の仕事でなくても改善したい。
一緒に働きたい。
できる限りのことをしたい。
それでも無理だったら諦める。


もう十年くらい前になるだろうか。
渡部さとるさんのワークショップでは教室の建物に暗室があって、わたしはそこを利用していた。その頃すごいハイペースで写真を撮っていたので、暗室で焼く写真もこれまたすごい量があった。まだ長男が小さかった。人に預けて片道2時間以上、しょっちゅうは行けないので撮り溜めた写真を一気に焼く。
プロセッサーに入れている間にもう次のものを何枚か照射して、また間に乾燥機にかけて。
ある日、ノルマが終わりそうにない日があった。当時、暗室番長をしていた写真家の佐藤静香氏が慌てるわたしを見てこう言い放った。

「“出来るかどうか”じゃない、“やる”んだよ」

その日は結局、他の人が見たら恐ろしい量を焼いた。人生で一番写真漬けだったワークショップの日々。周りの人達がいたからわたしは強くあれたんだと思う。

シングルマザー。
ひとりでやっているから強くあるのではない。強くならざるを得ない面もあるけれど、わたしの場合そうじゃないのかもしれない。
支えてくれる誰かのために動くこと。
自分の成したいことを成すこと。

写真や人生と向き合うのは己との一騎打ちだけれども、人が生きていることは取り巻く周囲があってこそ。もう少し、頑張れそうな気がする。


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先週、沖縄に行っていた。
今は子どもたちの日焼けの皮が剥けていくのを見るのが楽しみだ。




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