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夏の日差しのような眼差しが

両親が週に一度、地元の港に来た船員さんをもてなすボランティアをしていて、それによく付いていっていた。
そこはフィリピン、インド、ロシア、トルコ、中国、ギリシャ等色々な国からの船員さんが来る場所で、現地の話を色々と聞けて、大人なら楽しめるかもしれない。しかし私は小学校中学年で、挨拶程度しか英語は分からず、外国への興味や知識も乏しかったので、もっぱら備え付けのピアノを弾いたり片隅で古い写真集を読んだりしていた。
 
そんな中、突然超絶フレンドリーなインド人船員さんが現れた。
しかし、私が驚いたのは、彼がフレンドリーだからでも、マジックが得意だからでも、モノを売りつけようとしてきたからでもなかった。
今まで見たことのないような凄まじい目力は、眠たげで優しい春の緑の世界で生きていた私に夏の白く強い光のように照り付け、鮮烈な印象を与えた。
どんなに笑顔でいても弱まることのなかったその鋭い視線は、優しい季節に別れを告げ、まぶしく新しい季節に飛び出していくエネルギーをくれた。

そして彼は、スプーンや箸でしか食事をしたことのなかった私に「手食」を教えてくれた人でもある。
ヨーグルトとご飯と砂糖を手でよく混ぜてそのまま手ですくって食べるなんちゃってカードライスは、いつも食べ慣れている食材の組み合わせなはずなのに不思議な異国の味がした。
そして何より、手で食べるといつもなら怒られそうな状況なのに両親がそれを容認していて、かつ私が手際よく混ぜているのを見て件の船員さんが「上手だね!インド人になれるよ」と褒めてくれたことにカルチャーショックを受け、子供心ながら世界には様々な文化があり、ここではタブーとされていることも別の世界ではOKなのだ(逆も然りだけど)と知った。
皆んなで無心に楽しくカードライスを手で食べた時間は、あまり幸せな記憶の多くない子ども時代の、楽しい思い出の一つとして私の心に深く刻まれた。

…とはいえ、年月が経ち、しばらくそんなことは日々の雑事に埋もれ、忘れていた。
強烈な記憶として蘇ってきたのは約20年が経った昨年の年末、ニューデリー駅に降り立った時だ。
周りを見ると、今まで訪れた国では見たことのないような鋭い眼光のいくつもの目、目、目…。
日本人であんな目をした人にはまず会ったことがないし、それほど見慣れていないはずなのに、どうしてこんなに懐かしいのだろう。
そうだ、10歳の頃に会ったインド人船員さんの目だ。
数々の修羅場を潜り抜けてきたような目。
騙すかぼったくろうとしているかのような危うさを孕んだ、でもそれを補って余りあるバイタリティに溢れた目。
そしてそれらの目はあの時と同じように、立ち止まりかけていた私を次の季節へ進ませる力となった。

日本のインドレストランでもタイでも、気づけばあの目を探している自分がいる。


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