HSPという言葉ができて良かった
昔から、
すぐに涙が出ちゃったり、
人と接するのが苦手で、
思ったことがすぐ言葉に出なかったり、
人混みだとすぐ疲れたり…
その言葉を知るまでは、
「普通の人」ができることが、私にはできないんだなぁーって思ってた。出来損ないな人間だと思ってた。
3年くらい前、HSPというものがあるということを知ってから、
「他にもたくさん仲間がいるんだ」「自分は劣った人間というわけじゃないんだ」と思えて、すごく安心した。嬉しかった。
HSPだけじゃない。
この数年でも、かなり変わったと思う。
ASD、ADHDとかもそうだし、
心と身体の性が合致しない人とかもそう。
🏳️🌈の絵文字をSNSの名前につけて自分の「好き」や、ありのままを発信してる人の投稿を見て、とても幸せな気分になったりした(*´︶`*)
今どき、(若者だったら特に)こういうのに抵抗ある人かなり減ってきてるんじゃないかなあ…?
流行ってたMBTIとか、動物占いとかもそうだと思うけど、
どうやら人間は、自分の特徴に名前がほしいみたいダ
その根本には、
「自分が自分のことをもっと知りたい」というのと、
「こんな自分を理解してほしい!」
という心理がある気がする。
私も、私の特徴のこと、自分の周りの大切な人には理解してくれたらうれしいなぁ…って思う。
でも、別にそれ以上は人に求めなくて良いんじゃないかなあと思う。
それが行き過ぎたら、承認欲求みたいになっちゃうのかなあと思ったりする。
キリスト教の言葉にあるらしい。
「理解されるより理解することを、私が望みますように…。」
この言葉、すごく素敵だと思った。
アフリカにいた時、よく「チャイニーズ」だとかって差別の言葉を投げられてたけど、それだって、
「違うでしょ!」って怒ってムキになるんじゃなくて、
「何でそうなるんかな?」って歩み寄ることで相手を少しは理解できるようになるかもしれない…
国際問題や、国の内部のことだって、
どんなに大きな問題でも、
もっともっと、小さく落とし込めると思ってる。
自分はじぶんの表現・主張をしたら良い。
でも必ず、相手の声も聞く。
いきなり全部を解決するのは難しいけど、
一個一個、少しずつ、解決していこっっっ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?