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No を言える人になる 1 自分らしく生きる編

他人のルールに縛られず、自分のルールで生きる方法
医師 鈴木裕介

★自分らしく生きる編

【今生きづらさを抱える人が増えている背景にはこれまで信じられてきた幸福へ続く物語が、徐々に誰にでも当てはまらなくなってきたことが挙げられる。
その物語に乗っていれば誰もが幸せになれると信じられていた。】

私自身、
子どもの頃は
大学卒業したら2年くらいで結婚して、母のような専業主婦になりマイホームを建て子どもを産むことが当たり前だと思っていた。
しかし今、私が“生きづらさ”を感じる1番の瞬間は、まさにこの当たり前だと思っていた生活に当てはまらず他人に『結婚しないの?』『子どもほしくないの?』と、矢継ぎ早に質問される時だ。

【♡幸せな状態とは
自分が紡いだ自分の物語に自ら疑念や欺瞞(ぎまん)を抱くことなく心から納得しその物語に全力でコミットできていること】

要するに死ぬ時に
あーすればよかった、もっとこーしたかった
と思わないような生きた方の事だと思う。
やりたい事に挑戦し、自分の人生を自分で決め、自分で責任をとる!
ということだろう。

【誰に対しても優しく品行方正ないい子であろうとする人は少なくない。
子供の時に自分本来の感情を素直に表現したりその感情を受容されたりした経験に乏しい。
自分よりも自分を評価する誰か(多くの場合は親)の感情を優先する癖がついていてその誰かの感情を先回りして感じその人にとってベストな反応を得られるような感情だけを選び取り自分が本当に感じていた感情を心の奥底に封印してしまっている。
一時的な承認を得ることができるが自分のリアルな心根の部分を承認されているわけではないためすぐにまた誰かに褒められる何かをしていないと不安になる。】


自分がしたいからする!のではなく、
褒められるからする
じゃないと愛されない、認めてもらえないと思っている。
たとえそれが、自分にとってしんどいことであっても…
むしろそのネガティブな感情を持つことは悪いこと、持ってしまう自分は悪い、駄目な人間だとさえ思ってしまう。

【他人の感情を優先する生き方から抜け出すきっかけの一つとなるのが
誰にも遠慮をしない自分だけの好きを見つけて追求すること
ふだん誰かのための感情を優先している人にとっては自分の存在を肯定するきっかけとなる

まず“好き”を見つけるところからだろう。
私何が好きかな?
どういう事が楽しいかな?
一人の時間を作ってじっくり考えてみる必要がある
出かけてみたいところに出かけ
したいと思う小さいことでもしてみる

【自分の物語を編集するにあたって最も警戒すべき現象の一つがだから私はダメなんだ病(DWD病)
自分の物語をダメにする悪魔は実は解釈のところに潜んでいる
どんなに素晴らしい出来事があってもその解釈がネガティブであれば価値がゼロになってしまう
自分の物語を作る上で最も重要なことは自分の感情に素直になること。
怒り、嫉妬、悲しみなど誰かに話すことを憚られるようなネガティブなものもあるが感じてはいけない感情ではない。
感じたままの感情だけが自分に起きた出来事をに納得するための解釈をもたらす。
自分の物語を紡ぐことができるのは自分の感情だけ。
他人の価値基準や誰かのための感情に基づいた物語は本当の生きる力を与えてくれない。
自分の弱さ歪さ未熟でかっこ悪いところも認めてそれをも引き受けた嘘のない物語はありのままの自分をそれでもいいよと肯定し長きに渡って人生を支えてくれるしなやかな強さをもたらすものになる。】

一般的にいうポジティブな感情はあっていいものだと思えるが、ネガティブな感情は持つことに罪悪感を持ち自分の未熟さや身勝手さを痛感するものだと思っていた。
しかしネガティブな感情の必要性をきちんと見つめることで自分らしい人生を歩めるのではないかと思う。

これから何回にも分けて投稿していく【 No を言える人になる】シリーズです。
この本を読むことで私は自分のしんどかったことがどういう理由から来ていたのか今までのつらかった経験などの分析ができました。
是非引き続き読んでみてください。

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