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No と言える人になる3 人との境界線

自分と他人の間の境界線が曖昧だと生きづらい】

★世界は自分が責任をもって守るべき領域と他人が責任をもって守るべき領域の二つに分けられる

自分と他人の間の境界線をきちんと意識し守ること

心や身体生活人生なのは自分が責任をもって守るべき
必要以上に他人を立ち入らせたり責任やコントロール権を他人に丸投げしたり渡してはいけない

一方、家族や友人などどれほど親しい間柄でも他人の心や身体、生活、人生などはその人が責任をもって守るべき
必要以上に立ち入ったり責任をコントロール権を背負い込んだり奪ったりしてはいけない

【例えば】
こんなことは常識だ
私が〜なのはあなたのせいだ
(と言った言葉や態度で相手を威嚇し、無理な要求をする)
使えない、才能がない、人間性に問題があると言った言葉で相手を一方的にジャッジする

これらは他人の領域に土足で入り込み、自分のルールや価値観、要求を押し付け相手をコントロールしようとする行為

私もこれを読むまではだいぶ人からの侵入も許していたし、私が人に侵入することも平気でしていたように思います。
特に私がこうなったのは親のせいというのを親にぶつけてしまったこともあります。
自分が弱く責任を取ることが怖かったので、人のせいにして逃げていたような気がします。
原因自分論!!
自分の領域は自分で守り、侵入してくる人とは距離置き、相手の領域に対しては尊重する!

家族や友人同僚など自分以外の人がトラブルを起こした時に自分のことのように責任を感じてしまったり、頼まれると断れないのは自分の領域をきちんと守れてない、他人の領域の責任までおってしまっている、ため注意が必要

自分はうまくいっているのに他の人がうまくいっていない時、ものすごい申し訳ない気持ちになって自分が悪いことをしているような気持ちになることがあります。
そのため一生懸命自分ができないことやたまたまだ!などを並べるのですが
人より飛び出ることで嫌われるのではないかと、ものすごく不安で
一生懸命自分の良くないところ悪いところを相手に伝えてしまって結局自分自身の自己肯定感も下がり良くないことをしていたなと思います。
(ちょっと違うかな??ズレたかな??と思いますが 笑 こういう感覚の人いるよね?きっと!)

本来自分の領域と他人の領域を隔てる境界線が存在する
・内部(自分)良くないもの不快なものに侵食されるのを防ぐ
・良い快いと感じたものを外部(他人や社会)から内部(自分)に取り入れ、内部にある良くないもの不快なものを外部へ追い出す

不快なものを受け入れられない自分の器の小ささを責め立ててました…
不快なものを不快と思っていい!
不快と認めることで自分の感情に自身を持てるようになりますよね。(学校では真逆を教えられる…)
NOということで嫌な感情を認め、自分が不快な物に犯されるのを防ぐ役割があるなんて驚きです!

境界線は自己肯定感を損なうような言葉、勝手なジャッジ、自分らしく生きるのを妨げるようなルール一方的で不公平の要求などをきちんと選別し侵食されないように守ってくれる。
境界線が曖昧だと
他人が決めた常識、当たり前、べきといったルールを絶対に守るべきだと考えてしまう
他人からネガティブな評価を下され自分でも自分ダメ人間だと思うようになってしまう
といったことが起こりやすい
自分(自責)を責める傾向や他人を責める(他責)傾向が強くなりがち

自責傾向が強い人は他人の何気ない一言にも自分が責められていると感じやすく自己評価が下がりがち自己肯定感を持ちづらい
他責傾向が強い人は本来自分が負うべき責任まで他人のせいにする
はたからみれば本人にも責任があることでもひたすら周囲の人や社会のせいにしてしまう

私は完全に自責傾向が強いと思います。
人の何気ない態度からすぐに嫌われたと感じて何かしてしまったかなとすごくいろんなことを考え疲れ切ってしまいます
また相手に嫌われるのは相手次第なので私からはどうしようもできない場合もあるのですが、自分の欠点を探し歩いてそこを責め立ててしまいます。

他責傾向が強い人は実は不安が強い人
不安を打ち消そうとして声高に自分の正しさを主張し他人を責めてしまう

自責傾向が強い人は本来自分が守るべき領域をはるかに超えた範囲を自分の責任領域だと捉えて自分を責め生きづらさを感じる
他責傾向が強い人は本来自分が守るべき領域よりはるかに狭い範囲を自分の責任領域だと捉えて他人を責めなぜ自分ばかりがこんな目にと生きづらさを感じる

自責も他責も心の中で抱えきれない感情や思いをどうしたらいいかわからない状態なので、きちんと自分の領域なのか他人の領域なのか判断して感情を毎回整理することが大切だなと思います。

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