見出し画像

「親バカ青春白書」を見る「おっさん俳優」

もう、40歳が目前に迫ってきた。学生の頃は40代と言えばベストオブおっさんというイメージだった。おじさんではなくおっさん、もはやお兄さんと呼ばれることはなく、そう「おっさん」である。この「おっさん」と「おじさん」を兼ねる「おっつあん」という呼称があるがこのことを語ると脱線するので今は捨て置く。

論語ではないが若い頃は「おっさんにして迷わず」という認識を持つほど初老においては人間形成も社会的立場も確立し、苦労は増えるが確固たる人生を送っているものだと思っていた。

しかし、不思議なもので40手前になっても私の脳は私の身体に対して20代の頃と同じ認識を持っている。鏡を見ても毎日見ている顔なので老いを感じることはない。久しぶりに会う知人に「おっさんになったなぁ」と言われても、それは「今日は良き日和ですね」といった程度の時効の挨拶にしか聞こえない。

年月の流れを感じるのは子供の成長と自身を比較してのみ、精神も肉体も主観的には歳を感じていないことに驚く。しかし、仕事であったり前述の他者の反応を通じて客観的に歳を重ねていることは現実なので「おっさん」を演じなければならない。そう40歳前後の男性は「おっさん俳優」なのだ。更に私はおっさん認定試験があれば実技で必須となるであろう「歯磨き中のオウェェー❗️」も生じないため肉体的には老いをそれ程感じていない。

哲学者フリードリヒ−ニーチェはかく述べた「あるのは事実ではなく認識なのだ」と。

そんな私の7歳の娘がゲラゲラ笑いながら、あるドラマを見ていた。それが「親バカ青春白書」である。隣で一緒になって見てみるとこれが意外に面白い。ドラマは見る習慣がないのだが、娘と一緒になって笑える時間が増えた楽しみもあり今後も継続して見ようと思った。

ムロツヨシ演じる小比賀太郎は一人娘への愛情から若者世代に同化しようとしているように見えるが、「おっさん俳優」世代はおっさんを演じているだけであって精神、肉体的には20代のクオリティーを保てていると自覚している。そこの落差がこのドラマの面白いところでもある。どちらにせよ継続して鑑賞する価値はありそうなドラマということである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?