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教養としての「武士道」がためになりすぎるから記事にしてみた。

最近は、夜風呂に入りながら読書するのが趣味な金川です。

その中でも何度も読み返しているのが「武士道」です。

聞いたことがある人は多いかもしれませんが、詳しく知っている人も稀なのではと思います。

大それた題名を付けてしまいましたが、本当に深いと感じたので記事にしました。

武士道が生まれたきっかけ

武士道とは、国際連盟の事務次長に就任した新渡戸稲造が1990年に世界に向けて日本人の精神性を広めるために執筆した本です。

日本人の書で初めて世界的ベストセラーを納めた本だと言われています。

新渡戸稲造は、旧五千円札の肖像にもなっている人物ですね。

執筆のきっかけは著者がベルギー法学者との会話の中で、「日本の学校には宗教教育がないが、あなた方はどうやって道徳教育を授けているのか」と問われて返答に困ったというエピソードからだと述べられています。

そこで考えた末に出た結論が武士道でした。

特徴として日本人の道徳や倫理観を外国人に理解してもらうために世界の歴史や哲学、文学、騎士道とも比較した上で中立な目線で語られているのが秀逸です。

**日本人固有の考え方が「義」「礼儀」「名誉」「忠義」「克己」に分けられた『武士道 日本の魂』は英文で書かれています。 **

武士道の成り立ち

武士道の成り立ちは、封建制度から来ています。

封建制度とは、武家の習いで主人と家来の関係性を表す制度で、簡単に言えば「御恩」と「奉公」の関係です。

御恩
主人から従者に与えられる各種の保護のことです。
奉公
一身を捧げて(天皇・国・主君)に尽くすことです。

日本人はこの封建制度を元に自分より大きな主人、または社会、そして国家のために尽くすという壮大な感性を育んできて今日に至ります。

また、「士農工商」という言葉もあるように武士(士族)は階級で上に存在しました。

基本的な教えとしては、上級国民である侍(持てる者)が弱者を守り、そして平和を保つためにあるべき精神と言われてきたんです。

他の宗教哲学との違い

では、キリスト教の聖書などとはどう違うのか?

それは「成文と神が存在しない」という違いだと著者は述べています。

キリスト教の「倹約をし、社会のために尽くす」という考え方と根本はあまり変わらないと語っているのが印象的でした。

しかも、著者自身が実はプロテスタントという何ともすごい事実があります。笑

成文が一切なく、あくまで口伝のみで形を変化させながら長らく日本人の心に受け継がれてきた精神が武士道です。

この形なき規則が永く忠実に守られているという日本の国民性への敬意が世界的ベストセラーとなった所以だと思われます。

当時の米首相であるセオドア・ルーズヴェルトも『武士道』に感嘆し、親戚に配ったという話は有名です。


武士道とは

「んで、武士道って結局何なの?」と感じた方のために著者が簡潔に一言で表している文句がありました。

それは、武士道とは、

「勇猛果敢なフェアプレーの精神」

という一節です。

勇猛果敢とは、アグレッシブつまり、行動的であり実験的であるということ。

そしてフェアプレーの精神とは、争いを好まずあくまで両者にとって公平な取引をしようという姿勢です。

これって結構当たり前なことですが、
今の国際情勢とかを見ていてどうでしょう。

自分が儲かるために誰かが不利になる関税を設定したり、賠償金を払わせたりと自己の勝利が前提になっている例は国でも個人でも例を挙げればキリがありません。

また、最近は日本人の「気を遣う」とか「空気を読む」とかいう感性がなぜか否定的に言われてしまうこともあったりしますよね。

もちろん、行き過ぎるのは良くないですが、
本来であればこれも日本人の美徳であるという考え方も出来る。

世の中でも相手に不平等な条件で利益を得る人がいますが、歴史を遡っても分かる通りそんな考え方で支持されて長期的な利益を築ける人はマレです。

「礼儀」から学ぶビジネススキル

前述した武士道の徳目である「礼儀」とは優美さを追求するものだとされます。

優美さとは、「最も無駄のない動き」を表します。

柔道や茶道など道が名に付くジャンルは多いですが、全てこの優美さを追求するためにあるとされています。

どういうことか?

例えば、熟練の茶道家が立てるお茶は本当に無駄な動きがなく、初心者からしたら退屈に思えてしまうことさえありますよね。

しかし、このように一つの動きを突き詰めることによって動きは洗練され、無駄がなくなり優美に近づいていくんです。

何でもそうですが、最初は失敗していたのが物事を繰り返して無駄な動きがなくなるとなぜか自信がついてきたなんて経験はありませんか?

最も無駄の無い動きに近づけ、「余裕を生み出す」ことこそが道を追求する目的だといえます。

この不断の努力による生まれてくる「余裕」がすなわち自分よりも大きい存在である社会や国、平和を思う心に繋がっていくということなんですね。

これって私たちが普段からしている仕事や専門分野に対する努力も同じく当てはまると思うんです。

どんなものでもプロというレベルになるまで磨き続けたら人に貢献できるようになりますよね?

基本的な動きを何度も何度も繰り返すことで精神的な余裕を生み、人に施せる人になりましょうというのが本来の武士道の考え方です。

常に「勇猛果敢なフェアプレーの精神」を持ち、基本や地道な努力を大切にして生きていこうとこの武士道は私たちに教えてくれています。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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